世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年04月27日(日)自分の気持ちネグレクション

ちゃんとかえりみる

文章というか日記は、どうしたって、一定、反省の匂いがただよう。かえりみる感じにはなる。「こうすればよかった」「次はこうしよう」の色合いが混じる。「日記が好きだ~」とふだんから言いながら、ひとさまの日記を読ませてもらっていると、まあ反省文・改善案・打開策の話題が混じってきて、そのなかに、率直にいって好きなやつと、どうしても嫌いというか妙に反発したくなるやつがあり、違いはなんなんだろう、と考えていた。

あたまやこころから、ぽろっと"それ"を(気持ちや考えや認知を)取り出して、みずからしっかり観察し、分解し、解像度を高めたうえで、胸の奥に戻して「再認識」しているタイプの「反省」と、ぽろっと取り出してみせたあと、一般論、常識、社会通念といった外側の基準に頼りきったまま評価を下して、「よしよし」「こいつはだめなやつ」と独り合点し、そのままなにもせずに(むしろ、世間様におうかがいを立ててお許しをもらって納得したくらいのノリで)、胸の奥に戻しちゃっているタイプの「反省」がある、って印象なのかな。そして、まあ、後者が苦手なやつなんじゃなかろうか。せっかく取り出したのに、ろくに触れもせず、放置してんじゃん、って感じる。物足りない。自分の気持ちに対して、不誠実だとか不敬だとすら感じる。もっと大事にしてあげてほしい。

あたまやこころの動きを、「みずから」「深掘り」する、それが「大切にしている」ように見える、といったポイントが、しっかりそろい踏みしているやつが、非常に好きで、いずれも存在しないやつは、最悪、みたいな判断だろう。