安住しない
衝撃を受けるくらい斬新な視点をもたらしてくれる金言は、たしかにときどきあって、たどりつけなかった解釈に巡り合わせてくれるのはとても嬉しいし、好きなのだけど、だからといって、それが唯一の真実だとまで思うわけではない。誰もが一度は目くばせしておくべき大事なことだと言うことはあっても、誰もが頭から信じるべき教えだとは言えない。
有名な哲学者が、たとえばソクラテスやらニーチェやらウィトゲンシュタインやらが、「これはこうだ、と言っていた」――「から」――「こうなのだ」「これが答えだ」「このことを前提に、思い、考え、動くべし」みたいな言説を見かけて、哲学者が見出した切り口を、そういう「解答」「教義」みたいにあつかうのって、悪手すぎる、って思った。ぜったいそれ答えみたいにあつかわれるために用意した概念・視点じゃないよな〜、って考えていた(というか、これが、結論っぽく形作られるのすら拒みたい)。
それぞれの哲学者が話す特徴的なキーワードやキーフレーズって、「答えに腰かけてそのまま安住しないよう、動きを止めないよう、わざわざ、ものめずらしく解釈してみせた独自の世界」くらいの認識だから、それをいちいち安心安全の安楽椅子みたくしちゃうのって、なんだかな~、とはなった。