生成AIのイラストで遊んだ
生成AIが時代を大きく変えていくんだろう、とは、さすがに思わされている。どれくらいの変動幅になっていくかは読めない。きっと小さくはない。推測値が日に日に巨大化しつつあるようにすら見える。インターネットが登場してきたときは、そこの変動幅を、まったく読みきれなかった。環境が変わることは、怖いし、めんどうなので、変わらなければいいなと、希望的観測のもとに閉じこもって、惰性に逃げてしまった。その反省はなくもない。
というようなことを考えながら、日に日に刷新されていくAIの諸々の挙動を、ちょくちょく気にかけるようにはしている。ときどき課金もする。直近だと、ChatGPTの画像生成機能の強化が話題になっていて、試した。たしかに、ひどくかんたんな依頼文だけで、非常にクオリティの高い画像を生成することができた。驚かされた。軽いお願いにおかしなレベルのクオリティのものが返ってくると、不思議な気持ちにすらなる。
生成AIの考えるの位置
たとえばある題材に関して、「しっかり考えなおし、整理してみたいな」と思ったときに、いまなら、叩き台となるお試しの「理屈」「図解」「提案」などを、生成AIに出してもらうことができる。
こういうときの生成AIは、状況の設定・文脈の流れ・単語の位置・言い回しの選択、などなどに関する「距離」や「確率」の調整処理によって、そういったものを作りあげているのだ、というふうに、いまは(雑ながら)理解している。
こういった生成AIがしているような手法・処理によって、品質の高い「発言」を出してこれるなら、いままで、「考え」て「まとめ」て「作る」ぜ、とか思ってやっていたときの"挙動"みたいなものもまた、見つめなおし、考えなおしてみたほうがよいんだろうな、と、今回は思った。
これまで、ぼくが、こういった場面で、「考えよう」と思ってやっていたことが、「筋道に沿うようにして考えを前に進めてみせる」とか「分析や検証を重ねながら確からしい説明をしてみせる」とかいうプロセスじゃなく、ただ、いまの言い回しの次にくる可能性の高そうな、手の届きやすそうな、言葉を、探し、整合性がとれているかのように、ただただ書き連ねていく行為、であったとするならば――しかも今後、代わりにそれをやってくれる存在がいてくれるようになっていくのなら、ぼくの役目は変わってくるはずだ、とは思ったのだった。
というか、役目の問題どうこうというより、そもそも、いままで、ぼくが、「"考えるプロセス"において、ぼくの頭脳は、こういった位置を担っているのだ」と思いこんでいたところって、もしかしたら、けっこうズレていたんじゃないかな、とも思った。こういう挙動をしているように見える部品だから、きっと、回路全体の中でいえば、こういう効果を持つ部品なんだろう、という認識が、ずっとズレていた可能性を感じた。
生成AIと考える
ぼくがぼんやり思い描いていた「考える」とは、明らかに異なったやりかたで、「考えた結果」に見えるものを出してくれる光景をながめているうちに、ぼくがほんとうにすべき「考える」って、こういうことじゃなかったのかも……、っていう予感を、ちょっとだけ、いだけるようになってきた。構造理解が違っていた気がする。見ている側面が勘違いしていた気もする。それらがイメージしやすくなった気もするのだった。
とりあえず、今後、生成AIが、なかば強制的に組みこんでくるであろう「ことばの奔流」みたいなスピード感のあるモジュールに、振り回されることなく、うまく歩調を合わせて動けるよう、内部構造を組みかえていったほうがよいんだろうな、とは想像した。