書きたいのはミクロなのかな
ひとの文章を読ませていただいたときに、それが内面の話であるにせよ外界の話であるにせよ、「そんなところの細やかな動きに気づくんすね!すごい!!!」とは、よく思わされている。というか、そういう意識や目線が好きだ。優しさや愛の根源だとすら思っているフシがある。だったら自分もそういうことを意識して書けばよいのに、とも、もちろん思う。実際、けっこう気にしている。真似したがっている。
ただ、世界やこころの機微に気づけるかどうかって、体調や気分によっても大きく変わってくる。好みや癖も関わってくる。意外と思い通りにはいかない。あと、話題によってはどうしても大局とか大枠を書き残したくなってしまったりもする。たとえば旅行記なんかは、マクロの予定や経路もしっかり書き残して、憶えておけるようにしたくなる。ミクロばっかり残してもいられないという気分になる。
それでも、たとえば"旅行中のミクロ"に目を向けるのは(目を向けられるだけの配慮や余裕があるのは)、よいことなんだろう、というふうにも思った。実際、のちのち読み返したいのは、旅行中のミクロなんじゃないかな~、って気もしてきた。