あえてぐるぐるさせる
ぼくにも悪いところがあるにもかかわらず、しかし、ヘンに開き直ってしまい、まったくそれを顧みない。まるで直そうとしない。というようなおこないは、別にしたくない。そうなっていたら困るなとは思う。けれど、言うほど悪いわけでもないのに、閉鎖的な組織の文化や視野のせまい個人の認識によって、過剰に叱責されており、そのせいで、自分を責めすぎることになっていても、それはそれで困る。というか、シンプルに考えれば後者のほうが困る。自尊心やら自信やらが削られていって人生が疲弊しても困る。このあたりがマジでよくわからん、という混乱がずっと続いている。そして、まつわる言葉をいろいろ書き連ねてしまう。似たようなものがたまったのでお蔵だし的に並べておく。自分でも核心がどこかわからないので、横に並べることで、なんとなく見通しをよくしておきたい。
【1】自分を責めすぎない
我が身可愛さに、自尊心、虚栄心、保身などが渾然一体となったものを守ろうとしていて、筋違いの(自分に都合のよい)理屈をひねり出して、周囲に責任を押しつけようとしている。「あいつらはダメだ」とどうにか解釈してみせ、おのれの精神がぽろぽろ崩れていくのをなんとか防ごうとしている。
みたいな選択肢を連続的に選んでいそうで、怖いところは、正直、ある。無意識のうちにそんな行動ばっかり取ってしまっていそう。こころも気づかぬままあっさりとそんな動きを許していそう。つまり、現実を歪めるレンズをつけ始めていそうで、怖いのだった。
しかし、それはそれとして、自分を責めすぎないようにしたいところもあり、やりくりが難しい。「自分を責めすぎない」はほんとうに肝に銘じたい。そちらの方向で潰れたくはない。
独善的な自己正当化も一時しのぎとしては(この場を生き延びるためなら)活用してもよいんだよ、っていうアドバイスも世にはあって、そう言ってもらえると助かる気もする。だからといってうまくあつかえるかはまた別の話だが。取り扱い注意な気は、だいぶ、してはいる。
【2】現実を歪めるレンズ
悪徳商法、悪徳宗教、陰謀論などにハマっている人が陥るような「現実をゆがめるレンズ」が培われてきていそうで、いやだ。都合のよい材料だけを収集し、望んだ実験結果が出ましたよ~、と無意識的に打ち出しているかのような、ゆがんだ保身の見せる怖さも感じる。別にそういうものは望んでいない。忌避したい。しかし、それで、ある程度のこころの安寧を取り戻せるなら、それもありかなと考えてはしまう。そのへんのほどよい塩梅もわからない。
【3】自責すぎても他責すぎても
責任や罪を一手に引き受けるべきなんだろう、みたいな視点で考えてしまうところもあるが、実際そんなことになったら、きっとこころが耐えられない。無鉄砲に自分に集中させるのはよくない。しかし、どれくらいが程よいところなのかもわからない。配分の見通しはつかなかった。だからといって、等しく関係各所に分配してよいものかも迷う。物理的な現象ばかりを世界なのだと見なして責任という概念そのものを発散させようとする手管も、なくはないと思ったけれど、とはいえ、違和感というかズルい感が出ないわけでもない。相性という「状態」に話を還元してよいかについても、同じ問題を感じる。どれくらい「ぼくがだめなんだ」「逃げてしまっている」「申し訳ない」とか考えて、こころを重くすれば適切なのかがわからない。関係ないぜ、知るか、と開き直ってよいのかも謎である。自責すぎるか他責すぎるかほんとうにわからん。このあたりでずっとフラフラしている。