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日記を書きます

2025年02月19日(水)感情を言葉にする切断面

感情の動作説明

機械の動作を説明するときのように、感情や感覚の"運動"が描き出されていく姿が、きっと好きなんだな、って自覚した。機械の話なら「パーツやユニットごとの専門的な名称」やら「特殊な挙動を示す表現」がありそうだけど、題材が、確たる姿をとらない感情や感覚なら、もっと突飛な単語を用いてみたり、謎のところから引用してきた比喩を当てはめてみたりしたって、よいに違いない。こころの中を開陳してみせるにあたって、唐突に「春」を持ちだしても、おそらく誰も驚かない。「ポケモンで目が合ったトレーナーがバトルするため近寄ってくるときの動きで」って書いたとしてもたぶん許される。あと、「動作」だけじゃなく「機能」も奇抜な名づけによって描き出したい。

感情を書くwhat・how・why

感情にフォーカスして書いてみよう、っていう目的意識のもと、今回、頭の中に言葉を巡らせていたのだけど、難しかった。「いやいや、いま書きたいと思っているのはこうじゃないんだよな~」って、何個か書き出しながら、撤回させられる羽目になった。「動作」や「機能」を描き出すのではなく、「性質」ばっかり書き上げてしまっていた。至った先じゃなくて至るまでの過程が知りたいんだよなと思った。思考の作法において、「what」と「how」が対比されたりするのが、たぶんこの違いに当たるんだろう、とも考えていた。

出てきた気持ちはたとえば下記のようなものだった。

  • あきれて、見下してみせたくらいじゃ、不快感めいた執着心はみじんも消えてくれない
  • 常識の相互確認が、人類、ほんとうに足りていない感じがする
  • 季節感を物差しにして自分の感情を推し量っているひとの姿はなんとなく美しい

「what」的に「なにを感じているか」はわかった。けれど、「how」的な「どうやってそう感じるようになったか」「そこに至るまでの過程と運動」はわからなかった。書き出せなかった。しかし、あらためて考えてみて、いま知りたいと思っているのはそういうところなんだよな、と考え直した。というか、そこを丁寧に描き出しているひとの文章の雰囲気がとても好きで、模倣してみたかったしだいと言える。そうすることで、学び取れるところを見つけ出したかった。

あと、なぜそう感じているか、という「why」のほうに目を向けるやりかたも、また、あるはずだよな~、とは思った。こっちのほうも考えてみてよいところだろう。まあでも、むしろ、この三つで言えば、「why」が一番得意ではあるのかも。理由や原因のほうに目を向けがちな癖は出来上がっていると思うし。それと比べると、「what」は、補足するための網目がけっこう粗くて、捕まえたとして、認識が甘い。雑だ。そして、「how」は、ほんとうに不得手というか不慣れで、ほとんど、できていない。ぎこちない。選択肢にすら上がらない。「how」的な認知にあこがれてるなら精進すべし、っていうのが現状なんじゃないかな。