世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年02月14日(金)鎮痛剤は飲んだほうがよいのかずっと謎

発熱した

気怠い一日だった。花粉症のせいだろうと考えていたが、単純に発熱していた可能性もなくはない。咳もくしゃみもまったくなく、病気というよりは疲労寄りの症状なんじゃないかな、とも思わなくはなかった。いずれにしても、大事をとって、早く寝た。栄養がありそうなものと消化によさそうなものと水分を大量に摂取した。だいぶよく寝た。

苦しみや痛み、ツラさ、といったものをできるだけ無視して(というか、切り離して)、物理的動作をコントロールしてみせる振る舞いを、昔は、尊んでいたところもあったのだけど、最近は、やや微妙だ。それでも「微妙」っていう言葉づかいになるんだ、という気もしなくはないが、しかし、ともあれ、完全否定まではしたくない。心身の切り離し(距離感コントロールの可能性)にはあいかわらず興味がある。そういった手法が活かせる場面があることだって信じたい。もちろん、それを為し得たひとの行動だって尊びたい。

そしてなにより、キツいときは休んだほうがよい⇒人は無理しないほうがよい⇒我々はより「生き延びやすい」選択肢を選んだほうがよい⇒「生」には常に優先されるべき価値がある、という形での絶対視は、したくない。「生」と「死」を「価値」という平面の上でわざわざ並べたくない、というかな。

日記

日記を書いていると、いっつも考えていることを率直に書き出しているだけっていう場面ももちろんあって、というか、ふだんの思考の背後にある"自分にとっては当然の観点(死生観・人生観・人間観・価値観・世界観)"を、ただ表現しているだけっていう場面があって、手ざわりとしては、「ぼくから見たら当たり前」のことばかり書いている雰囲気にもなるのだけど、こういうものをあらためて言葉にして書き出せていること自体が、むしろ、とても素敵なことなんじゃないか、って思わなくもないのだった。

さほど苦労することなく、自然に吐き出せているので、「こんなもん書いてもねえ」とか思いそうになるわけだけど、まったくいらない卑下なんじゃないの?むしろ大事にしなきゃいけないやつなんじゃないの?って考えていた。