世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年02月13日(木)いまでも本棚には満足している気風

集めていっぱし

あらこれはおもしろい、いやあれもおもしろい、こんなのまであるじゃん、と、表面だけをなぞっていればよいだろう(時間もそんなに潤沢にあるわけでもないし、そのほうが効率的だろう)、という形で、数ばっかり意識して、収集癖を満足させているくらいなら、コレクター精神をなんとか引きずり落として、むしろ出会わないよう工夫し、一定以上のものは捨てさえして、そのぶん、手にできたものを、ひとつひとつ、丁寧に、読み解くようにしていったほうが、たとえ100集まらなくなって5しか出会えないことになったとしても、意味や質や成果という意味では、きっと、よい状態になるんじゃないか、とは感じなくもない。世界が豊かになりそうかなとは思う。

こんなにも楽しいものばかりあるというのに、みずから、それを、切り捨ててしまうなんてもったいない!と、効率化のフリをした悪あがきを繰り返し、たとえばテレビドラマを見ながら読書して、その結果、頭の中にはほとんどなにも残っていなかった、みたいな事態がたしかに、少なからずあって、ちゃんと集中しろよ、そんなふうに軽んじて触れられている物事のほうが(そうして両者ともが無駄にされている事態のほうが)よっぽどもったいないじゃん、って思わされたりもする。そして、そんな、並行・軽視・非効率が、ぼくの人生のうえの横行している気配は、けっこうあるのだった。嫌な習慣が出来上がってしまっている。

ろくに読みもせぬまま、気になった本ばっかり買い集めてしまうのも、その一例というか、むしろ、本丸な気すらする。とにかく素敵な本さえたくさん本棚に並んでいればいっぱしの者になれたんだ、みたいな思い違いが、ほかの空間にまで敷衍されている可能性はある。

テレビドラマづいている

国内テレビドラマ独自のよさもやっぱりある。良くも悪くもかもしれないが、一番、身近に感じながら鑑賞している気はする。性質的には現実に近いって言える気もするし。生身・実在・現代みたいな「近さ」を軸に並べるなら、ほかにも、演劇とか、映画とか、同じテレビドラマっていう俎上で海外テレビドラマとか、いろいろなものとの比較もできるわけだけど、演劇・映画・海外テレビドラマ・国内テレビドラマ、って並べてみたときに、それぞれ、違いがあるなあ、とは感じる。国内テレビドラマにもそれ独自の手ざわりの心地よさを感じる。

ほんとうにぐうぜん見始めた「最高の教師」が大変おもしろかったため、あとを追うようにして、今度は「御上先生」を見始めた。こうやって次回を楽しみにしているテレビドラマがあるのは、けっこう幸せだ。週刊連載のマンガを追っていたり、アニメの次週にワクワクしていたり、小説の新刊を待っていたり、それらと同じような「楽しみ」ではあるのだけど、これらも、それぞれ、ちょっと、感触が違うなとは思う。もちろんどれがよいってわけでもない。ただ、さいきん感じていなかったやつがたまに手元に戻ってきてくれると、ひさしぶりで、嬉しい。

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