世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年02月12日(水)読書の負荷から瞬時に逃れる発想

数秒で読書をやめる

本を読みたいと思って、ページを開き、一行か二行読んだところで、もう飽きてる、っていう状況が、ときどきある。本を開いたその数秒後、もうすでに、その場から、気持ちが離脱していることに、気づく。無意識のうちに、文章を読んでいく負荷から離れることを考え、許容している。スマホでショート動画を流しながら、たいして集中することもなく、しかしダラダラと、次の動画、次の動画、とフリックし続けているときの心理に、ちょっと似ている。おおむね逃げとサボりだ。気持ちがやや落ち着いているときであれば、そういった脊髄反射的な離脱を、意志によって、押し止められる印象も、なくはない。なんとかそこに踏みとどまれる瞬間もたまにはある。

そんなふうに、あえて、意図的に、「文章を読み進めないと」と決心し、真っ直ぐ文章に向き合う時間が、今日は、少しだけあった。そういう余裕が運よく持てた。こうして、しっかり文章を読んでいくのは、やっぱりめちゃくちゃ気持ちよいなあ、って感じられる時間でもあった。たいした話としては残せない気もするのだけど、しかし、このときの快さを、記録しておくことに、たぶん、けっこうな価値があるはず、と判断もした。忘れないよう、手元にたぐり寄せておいたほうが、おそらくよい。再現できるようにしておきたい。こういうこともできるんだ、と自認できていたほうがきっとよい。

数秒でリンク先を読むのもやめる

インターネットで素敵っぽい記事に出くわしたときも、「おもしろいのは間違いなさそうだ」「だからこそ、あとでちゃんと読もう」とかいう直観的判断とともに、脊髄反射的に離脱していることがある。出会っただけで満足している、というか。コレクションにリストアップしただけで掌握したつもりになっている。勘違いもはなはだしいって感じはする。このあたりの所作の背後にある「負荷を後回しにしたい」「めんどくさい」「サボろう」精神には、まあ、正直、気づいている。さいきん連発してもいるので、やめたい。近年、増加傾向にある気すらしている。

おもしろそうなものが多すぎるせいだ、という世界に対する(難癖的な)文句のつけかたと、出くわした瞬間にだけ得られる「新鮮味」という栄養素ばっかり、要は「刺激」ばかり、追い求めてしまっており、結局、表層的な快に溺れちゃってるんだぞ、という自分に対する(きっと妥当な)文句のつけかたの、ふたつを思いついたところはあった。