ファクトベースの日記
予断を持つな、解釈するな、あくまでファクトベースで語るべし、みたいな指南がこの世にはあると思うのだけど(ビジネス関連の領域で耳にしがち。話を不安定にしないコツという認識だ。不安定を削りたいビジネス領域向きというか。よい目のつけどころだなあとは感じる)、日記に対して、同系統の指針を持ちこむのも悪くない。独特の風味が感じられて嫌いじゃない。
事実(物理的現象)ばかりに目配せした話って、なんとなく身近な空気がただよってくれて、親しみやすい。「直接」の距離感を維持したまま描ける。きょう一日を振り返って「解釈」すると、やっぱり、手の届くところに、じかに触れて、認識しているような雰囲気は薄まる。「間接」に寄っていく。世界を見つめて、新たな理屈や珍しい断面を見出していくのは、間違いなく気持ちよいのだけど、親近感を基礎にした素敵さとはまた変わってくるなと思う。
どこまでが事実か
事実ベースで日記を書こう、って考えてみたときに、感情の位置づけには、ちょっと困る。感覚にもヘンなラインがあるっぽい気がしていて、まあまあ困る。同じ平面上に配置したところで特に問題なさそうなやつと、事実ってくくりの中で一緒に並べるとおかしくなりそうなやつが、混在していることが多い。
家で書かないで済むルーチン
帰り道あたりで日記が書き終えられるようにできないかなあ、とは考えていた。いまはだいたい寝る前に書いている。言葉を微調整しているあいだに、けっこうな時間が経過しがちだ。就寝が遅くなったりもする。が、睡眠時間はあまり削りたくない。日々のパフォーマンスも落ちれば、寿命だって縮まりそうで、それはあんまり望んでいない。とはいえ、意識的で表面的な行動調整をくりかえしていくくらいじゃたいして変わってくれなそうだったため、深夜の自室で書くのはもうやめよう、もっと早く日記を終わらせよう、といった抜本的な改革を検討したのだった。順番と配分を変えて、読書と勉強にもっと時間を割きたい。