星の数ほどあっても一部
星の数ほど言葉があるのに、「またこの言い回し使っちゃってるよ」とはよく気づく。すぐ頼る思考経路がある。すぐ寄りかかる思考空間がある。シンプルに使いすぎている単語がある。トンカチを手にしたことによって、この世のすべてが「叩かれるべきもの」に見えてくるような塩梅で、「ぼくにとっての頻出単語」によって、世界がゆがんで見えているところはあるんだろうなとは思った。
「右往左往」とか「紋切り型」とか「素敵」なんかが、たとえばぼくが自認する頻出単語なのだけど、ちゃんと世界をフラットに眺めるのであれば、「右往左往」「紋切り型」「素敵」なんて概念ばっかりが、そんなかたよった割合で、そこらに転がっているわけもないのだ。ほかの概念だっていくらでもごろごろしている。にもかかわらず、実際は、あっさり見出している。そういうものばかりが見えてきている。ただ、ぼくがそういったほうばかり見つめてしまっているんだろう。
賛否両論
賛否両論、意見が分かれているような光景のを眺めて、ほくそ笑んだ。たぶんぼくは「賛」のほうに入れるだろう、という謎の楽観があるのがわかった。
「根が明るいというのは、なぜだか根本的に自分自身で満ち足りている、ただ存在しているだけで満ち足りているってことで、根が暗いっていうのはその逆で、なにか意味があることをしたり、ほかの誰かに認めてもらわなければ満たされないこと」っていう『子どものための哲学対話』(永井均)のエピソードが好きなのだけど、賛否両論分かれている光景を見つめて、「ぼくはたぶん賛側だよね」って思えるのも、同じようなもんか、というか、たいがいだな、とは思った。
