感想文がそもそも下手なのだ
ボードゲームの紹介・推薦・感想を書くときはいつも、難しい……、と唸っている。どんなゲームも、それぞれ、独自の、きわめて斬新なアイデアを素にして具現化され、当然そこに愉快ポイントがあるわけだけど、その新しさと楽しさを、読み手にもちゃんと理解してもらえるよう、交通整理しながら説明していくのは、だいぶ難儀だ。いまだにコツもつかめない。
単純に、感想文が下手ってことなんじゃないか、とも思った。感想文めいたものを書いているときに、事実・解説・解釈・感情といったものをうまく配置させられていない感覚は、正直、けっこうある。だいたいは急旋回させすぎなのだ。その結果、滑らかさが失われている。荒々しいといえば聞こえはよいが、ゴツゴツしていて、肌触りがよくない。たぶん、読書感想文なんかも似たようなことになっているはずである。構成を事前に整えようとしないことによる脆弱さが、思いつきを並べていくだけでなにがしかにはなってくれるだろうと期待する過信と甘えが、ここで露呈している。
部門ごと
要点、構造、見た目、アイデア、切れ味、歴史、商品情報、個人の好み、みたいなところを、それぞれ「部門」としてしっかり打ち立てて、ひとつひとつ切り分けて描こうとすれば、まだマシになるんじゃないか、とは感じている。思いつくまま、連想のまま、関係ないフィールドの雑談や抽象度の異なるレイヤーの注意まで、順番も気にせず直線上に並べているから、デコボコした出来になる。混乱も招く。構造化・フレームワーク化するみたいな手つきの弱さ、問題視してみるのはよい。まあ、「形」を神聖視することで生まれる思考や知の抑制や減衰みたいなものも、気にはしたいのだけど。どっちもできるようになってからが勝負なのでは?といった判断もなくはない。
混在
けど、ごった煮というか闇鍋というかあっちゃこっちゃ行ったりというか、ごちゃごちゃした雑味みたいなものが好きなのも、間違いはないんだよな。雑誌的な気持ちよさみたいな。ただ、このあたりの気持ちよさを、手抜きして配置・構成を考えない所作を正当化するために、いちいち持ち出しているきらいがあるので、そこはなんとかしたい。洗練された(せめて考え抜かれた)雑味と、ただ投げ捨てられた雑味の、違いがあるとは信じて、反省したい。