ピーキーファジーメモリーズ
文学フリマ東京39の開催日だった。いまだに遊びに行けていない文学フリマだが、今回は、ズイショさんお声かけのもと、「ピーキーファジーメモリーズ」という同人誌に文章を書かせてもらって、間接的にだけど文学フリマを楽しませてもらえた感じにはなった。たいへん嬉しかった。
「ピーキーファジーメモリーズ」。書くのも読むのも、ほんとうにおもしろい本だった。思い出、記憶、といったものを主題にした、持ち寄り随想集で、もろ好みドストライクの本であった。いろいろなひとの虚実入り交じるような思い出の話を聞きたい、とは、昔からずっと願っている。機会も逃したくない。それが叶う空間だった。
さまざまな出来事が、その場にぐうぜん立てた「誰か」の記憶の中だけに残され、そして、いずれは止めようもなく消えてゆく、といったプロセスには、どうしたって着目してしまう。謎のこだわりが消えない。固定観念も偏見もこびりつく。哀しんだところもあれば、救われたところもある。いろいろな気持ちや感覚、思いが、「記憶」「思い出」メカニズムの持つ、妙味、機微、複雑性によって、もたらされたのだ、と信じている。さまざまな面白味の背後に「記憶」「思い出」メカニズムがあったのだと感じている。そういった空気の中、おこなわれる、楽しい読書経験が、この本にはあった。
執筆したものを、ひとに、まっすぐ、評価・判定してもらえる経験も、稀有で、素敵だった。ワクワクした。
今回くらいの行動を同人活動と呼んでいのかはわからないし、特に今回は、ほとんど任せきり頼りきりだったので、参加したと呼ぶのもおこがましいとは思うのだが(ほんとうに感謝しきりです)、しかしなんにしても、こういうことは今後も続けていきたい、とは思うところがあった。みずからの手が届く範囲内でも続けていきたい。得がたい今回の貴重な歓びに、まっすぐ感謝を伝えたいのであれば、そういった行動の決意がひとつの答えになるだろう、とは思った。自主的に、考えて、動いて、巻きこんでいけたら、よい。待ち焦がれているだけじゃなにも始まらない、を、もっと真剣に見つめられるようになれるなら、それも嬉しいし。
ピーキーファジーメモリーズ、本日はたくさんの方にご来店ご購入いただき本当にありがとうございました。感想をできるだけたくさんつぶやけるように感想用の短いハッシュタグを作りました。みなさまのご感想、架電座一同心待ちにしておりますのでよろしくお願いします。 #ピファメ
— 架電座【東京文フリM-51】 (@cadenza2024) 2024年12月1日