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日記を書きます

2024年12月01日(日)文学フリマのピーキーファジーメモリーズ

ピーキーファジーメモリーズ

文学フリマ東京39の開催日だった。いまだに遊びに行けていない文学フリマだが、今回は、ズイショさんお声かけのもと、「ピーキーファジーメモリーズ」という同人誌に文章を書かせてもらって、間接的にだけど文学フリマを楽しませてもらえた感じにはなった。たいへん嬉しかった。

「ピーキーファジーメモリーズ」。書くのも読むのも、ほんとうにおもしろい本だった。思い出、記憶、といったものを主題にした、持ち寄り随想集で、もろ好みドストライクの本であった。いろいろなひとの虚実入り交じるような思い出の話を聞きたい、とは、昔からずっと願っている。機会も逃したくない。それが叶う空間だった。

さまざまな出来事が、その場にぐうぜん立てた「誰か」の記憶の中だけに残され、そして、いずれは止めようもなく消えてゆく、といったプロセスには、どうしたって着目してしまう。謎のこだわりが消えない。固定観念も偏見もこびりつく。哀しんだところもあれば、救われたところもある。いろいろな気持ちや感覚、思いが、「記憶」「思い出」メカニズムの持つ、妙味、機微、複雑性によって、もたらされたのだ、と信じている。さまざまな面白味の背後に「記憶」「思い出」メカニズムがあったのだと感じている。そういった空気の中、おこなわれる、楽しい読書経験が、この本にはあった。

執筆したものを、ひとに、まっすぐ、評価・判定してもらえる経験も、稀有で、素敵だった。ワクワクした。

今回くらいの行動を同人活動と呼んでいのかはわからないし、特に今回は、ほとんど任せきり頼りきりだったので、参加したと呼ぶのもおこがましいとは思うのだが(ほんとうに感謝しきりです)、しかしなんにしても、こういうことは今後も続けていきたい、とは思うところがあった。みずからの手が届く範囲内でも続けていきたい。得がたい今回の貴重な歓びに、まっすぐ感謝を伝えたいのであれば、そういった行動の決意がひとつの答えになるだろう、とは思った。自主的に、考えて、動いて、巻きこんでいけたら、よい。待ち焦がれているだけじゃなにも始まらない、を、もっと真剣に見つめられるようになれるなら、それも嬉しいし。

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