世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年11月30日(土)舞台裏でごまかすのと、現実の切り取り方

腹芸で誤魔化そうとする

舞台裏や楽屋裏を見せればおもしろがってもらえると思っているなら大間違いだぞ、っていう指摘が、ぼくにはけっこう刺さる感じだ。話に困ったら、そういった「思惑」や「狙いどころ」をただつまびらかにすれば、それでオッケーがもらえるだろう、って思いこんでいるフシがある。「こうしたいと思ってたので、こうしちゃったんですよ~」と、あっけらかんと言っちゃえば、それだけで、ともすれば、赦してもらえるとすら思っている。だいぶ楽しんでもらえる話題だと勘違いじているフシすらある。なぜかは不明だ、ってちょっと思ったが、実はぜんぜん自明で、ただただ、ぼくが、その手の話を、好んでいるんだとは思う。

言い訳でも解説でも心理分析でもなんでもよいのだけど、人間の思考やこころの構造や機微、そしてそれが本人からどう語られるか、が、ただただ、好きっぽいなとは思う。つまらん話題が提示されたときに、内輪ウケめいた「裏事情」のほうに逃げ込まれても、あんまり嫌じゃないどころか、けっこううれしい。しかし、誰しもそういうわけじゃないんだぞ、とは思うのだった。腹の内を見せればそれだけで赦してもらえる・歓んでもらえる、とか、さすがに人間理解が浅はかすぎる(ひとを舐めすぎ)だろ、という理屈の意味も、わかるようにはなった。

三行日記と四行日記

三行日記と四行日記を書いているひとの文章が、ぐうぜん、タイムラインに並んでいて、なんかすごくおもしろい!ってなった。「三行で切り取られた世界」と「四行で切り取られた世界」が並んでいるのは、妙に新鮮だった。一行も二行も五行も一緒に並んでいてほしい、というワガママな意見まで、いだいてしまった。あたえられた制限の違いによって、「現実を切り取る感覚」が変わってくる様を、実際に見比べられたら、ものすごくおもしろいんじゃないか、と想像した。この夢想をどのように実現したらよいのかはわからないのだが、なんともならないわけじゃなさそうなところが(世にいるn行日記書きたちを探し集めれば、なんとか実現できそうなところが)逆に厄介、って気もした。