言葉が尽きるのが怖い
じゃあなにかしゃべってください、と、きゅうに話を振られるのが怖い。当たり障りのないことしか言えないことが露見するのが怖い。そこで言葉が尽きて黙ってしまうのは、なお怖い。そういった恐怖を常にぼんやりとかかえている気はしている。無意識にビビっている。なんとなくビビりすぎて、失敗シーンを想像しすぎて、みずからそちらのほうに近寄っていっているフシすらある。具体的に心配すればするほど、それを、無駄に現実化させている気もしてくる。
むしろ短く説明することのほうが(基本的には)難しかろうに、なにを言っているんだ、とも思わなくはない。なんであれ話し始めたら、たいていは長くなる。ちょっと並べた言葉だけでわかってもらおうなんて激甘だろう。にもかかわらず、「話すことがなくなる」のを心配しすぎているなんて、ちゃんと状況が見えてないんじゃないの、とは思った。
語れない現実から逃げる
ある事柄について、ちゃんと語りたいな~、って思ったときに、「しかしあまり言えることがないんじゃないか」と不安になって、結果、語るのを避けてしまうシーンが、どうしてもある。きわめて素敵な物事と巡り逢えた奇跡があったときに、「これについて語りたいぞ」と思ったとしても、結局、語らずに済ませてしまっていることが多い。たいした言葉が出せない(かもしれない)現実に向き合うのが怖くて、最初から取り組むことをやめてしまう。そういった考えや気持ちに対し、「話が長くなってしまった」をどんだけ経験してきたんだよ、と、ツッコんでおきたくはなった。書き始めたらだいたい止まらん、それは知ってるじゃん、ってなった。