世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年11月27日(火)三越前で飲み会

飲み会

なんのひねりもないストレートな言葉では、きっと、相手のこころに(ときには自分のこころにも)たいしたキズは残せない。やや奇抜なくらいが結局は印象深い。フーン、だけで終わらせないくらいの勢いは欲しい。表面的なところをツルツル滑らせるだけで終わらせてしまうのではないように、ある程度、深いところにキズが残るくらいの鋭さは、保持してみせたい。

今日は、小学校からの付き合いの友人との飲み会だったのだけど、淡々とその事実だけをストレートに描いてみせたとしても、たいした話にはなってくれそうにないな、って感じた。どちらかといえば、「たいした話」にしておきたいぞ、とも思った。それくらいには、ほかでもない独特の輝きがあった。特別な空間だった。まあでもそのぶん、反省点もあったとは思う。そこは「裏腹」とか「よくもわるくも」とか言える事態だった。大事なぶん、神経質にもなった。

なんとなくではあるけど、昔のノリで接してこられると(昔見ていた顔や声が目の前にあると)、どうしても魂が引き戻されるところがあるなと感じた。結果として、子どものころにかかえていたワガママや夢想や押しつけがましさが、いかんなく発揮されていたような気がする。そのくらいのことは赦されるというか、当然視してくるまなざしを受けて、これまで築きあげてきた社会とのチューニングが乱され、根っこのほうがひさびさに曝露されるところがあった。解き放たれたのは気持ちよかった。けど、こんなに言いたいこと言っていていいんだろうか、と不安にもなった。

こういうふうにやっていきたい(こういうところに文句をつけていきたい)んだったな、ということを、とはいえ思い出せた。運よく蘇ってくれたものはあって、そこに感激はした。

なんにせよ思考が自由になる感じはすごくあった。これくらい右往左往も縦横無尽も自由奔放も感じられる状態の中でいろいろ考えていたはずだったな、と、気づき直せて嬉しくもなったし、反省も自戒も後悔もした。開き直るところもあった。頭脳の可動域がせまくなっていたり、錆びついて軋んでいた体感を、あらためて得た。こういう機会も得がたい。言いたいことを言わせてくれてありがたかった。断続的に繰り出される焼き鳥はたいへん美味だった。

タロー書房

三越前駅は、乗り換えなどで乗降させられる機会が稀にあって、ここの駅内にある本屋さんがとても好きなのだけど、目的地として行くことがほぼない駅であるため、いつも、時間がたつと、どの駅にあったか本屋だったか忘れてしまう。ぼんやり思い出の中だけで輝く存在になりがちである。ひさしぶりにこの駅を通過して、あ、この本屋、ここにあったんだっけ、って思わされた経験が三回か四回くらいある。今回も思った。忘れないように記録してみたがどうなるだろうか。

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