世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年11月21日(木)小さな賛美をないがしろにしない

世界は広いが、生きる範囲は一定

世界は広大だし、人間が無数にいるが、わざわざそれらすべてと相対しているつもりで生きていなくてもよいんだとは思う。全世界・全人類と向き合うような精神のもとで行動していく必要があるっぽい、と感じてしまう場面もなくはない(なんにも考えていないとこのモードになりがちだ)が、しかし結局は、一定の範囲内で過ごしていくだけなのだから、その範囲内で"なんとかできればよい"ところはある。出会う人すべてを説得する自信はなくても、頻繁に接する、たとえば5人に尊重してもらえるなら、それで十分なケースはいくらでもある。無理矢理おおきな世界を眺めて過ごさなくてもよい。

ささやかな、しかしちゃんとした褒め言葉を、大切にする

たくさんのひとに好かれたり褒められたりしたい。いろいろなところで認められたり評価されたりしたい。おおきな範囲を見つめつつ、そんなふうに考えてしまうことも、なくはない。けれど、もし、ひとりかふたりに、ちゃんと好かれたり、しっかり認められたりしたことがあるなら、それで十分だ、というふうに考えてみたって、別によいじゃん、と、あらためて考えていた次第だ。むしろそういったことを、軽んじることなく、抱きしめることができるなら、よっぽどそのほうがよいはず、って思った。

ただ一回褒められたことばを、胸の奥やらデスクの前やらに貼りだしておいて、わずかなものかもしれないが、しかし、しっかり胸に刻まれたその歓びを糧に、そののち楽しくやっていけるなら、それでがんばっていけたりもするのなら、それに越したことはない。「1人には褒められたけど、10000人には褒められてないから、ダメなんですよね~」なんてふうに判断して、せっかく賜った大切な言葉をいつの間にかないがしろにしてしまっているようなスタンスは、むしろ撲滅してしまいたい。

ないがしろにしない

せっかく出会えた"たからもの"を、なぜかないがしろにし始めて、もっともっとよいものがあるはずだと、貪欲に、どこかにあるのかもわからない、さらなる財宝を探し求めてしまう、みたいな心持ちになっている瞬間が、たしかにあるなあ、と思った。

「貪欲に探し求める」ほうは、別に悪いことではないにしても(ケースバイケースだと思うし)、「せっかく出会えたものを、ないがしろにする」ほうは、なんとかしたほうがいい、って思った。「身近ななにかを大切にせずに、世界が救えるか?」とまで言いたいわけでもないけれど、だからといって、身近ななにかを大切にしなくてよい、ってことにはならない。一回「手に入れた」と思えると(自分のものになったと勘違いできてしまうと)、安心して油断して、目移りする、みたいなことが、どうしてもあるので、なんとかしたい。