世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年11月10日(日)時間がないときはないなりにできることを

大事なもののために書けないならそう言う

おおよそ30分しか自由時間がないときに、日記を(趣味の文章を)書いておきたくなって、そのまま、その30分を、執筆で使い切ってしまうことが少なくない。が、「この30分を使って、しっかり勉強したほうがよいよ」と言いたくなるような状況も当然あって(というかむしろ、そういった場面が大多数とも言えて)、勉強時間に全振りしちゃって別によいでしょ、とは、あらためて、自分に向けて、言っておきたくなった。許しっぽく言ってあげてよいと思った。そういった指針を否定してくるひとも別にいないと思う。むしろ推奨してくれるひとのほうが多そうだ。というか、推奨してくれそうな層のひとたちに読んでもらいたい日記を書いている認識かな。

「勉強時間を確保するべく、今日の日記は、この"一文"のみとします」といった、潔い文言のほうが、よっぽど価値があるんじゃなかろうか。少なくとも、そういった解釈の基準も持っているとよい。

こういうひとに読んでもらいたい、という希望と、こういうふうに振る舞っておきたい、という希望が、意外とうまく噛み合ってくれているなら、そのことには自覚的でいたい、とは思うのだった。逆に、ヘンな遠慮のせいで、自ら軋轢を生んでしまうような状況には、したくない。