個人レベルのなにを書けば良いのかわからない
個人レベルのなんの変哲もない日々の話のつまらなさと、個人レベルの日常やこころの細部が見せてくれるおもしろさの、線引きって、めちゃくちゃ難しい。いまこうして書いている、「ここが難しいと思いました」というぼくの判断の披露・開陳だって、おもしろい話だと見なしてよいのかわからない。
ひとさまの日記を読ませてもらって、ちょっとした着想がほんとうにおもしろいな、と感心させられることしきりなわけだけど、実際そうであっても、判断基準はあいまいだ。いままさに読んだ目の前の文章に対する自分の感想が、どっちに転ぶのか、自分でもよくわからない。
なんとなくだが、「説明」されるとつまらないが、「描写」されるのはおもしろい、みたいな話と似たところがある?のかな?とは感じた。ピントがあっていて、くっきり見えるよう話してもらえるなら、楽しいが、それを、どこかで聞いたような言葉の「型」だけでぼんやり表現されても、いまいち、みたいな状態は、たしかにありそう。
色数が増えると、音色や音域が増えると、ポリゴン数が増えると、画素が増えると、密度が増えると、次元が増えると、関数が増えると、シミュレーション回数が増えると、たいていは、どんどんおもしろい空気にはなっていく。日常・普通・平凡といったところの話であっても、それは変わらないのかな、とは思った。
楽しそうな刺激が目白押し
名作・傑作・良作と出会う機会もたくさんあって、素敵な昨今ではある。といえば聞こえはよいが、ただただ誘惑が多いともいえる。楽しそうな刺激が目白押しだ。ぜんぜん落ち着かない。ずっと上擦っている。
踊らされている場合じゃないぞ、と反省する日もあるものの、そんな落ち着きを軽々とぶち抜いてくるような楽しさが、あとからあとから押し寄せてきて、キリがない。おもしろかったもの、おもしろそうだったもの、などの記録を最近は軽く残しているのだけど、驚くくらい、積み上がっていく一方の毎日だ。
「ストーリーが好き」くらいの水準で探していても、ほんとうにキリがない。けど、「ストーリー」のおもしろさなんて、あくまでも限られた一部分に過ぎない。おもしろい体験という区切りかたでいえば、図抜けていそうな事柄なんて、ほかにもいくらでもあって、ぜんぶを追い求めるのは厳しい。先人たちの振る舞いを見るに、どうにかして制限をかけていくよう(自分を)説得していくしかなさそうなのだけど(それでようやくステップやフェイズを次に進められそうな雰囲気はあるのだけど)、それもまた、難儀だ。諦めが悪い。いやまあ贅沢なだけとも言えるが。