世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年11月03日(日)鉄道博物館、四回目

また鉄道博物館

鉄道博物館で遊んできた。お子さまにとっては四回目の訪問になる。のりもの、くるま、でんしゃ、といったものに対する好奇心が、着実に伸びてきている雰囲気のため、そろそろまた、あたらしい経験をもたらせないか、と考えたしだいだ。というか、状況に対するセンサーがさらなる感度を得つつあるように見えるので、同じ空間からでも、異なる視座、新たな栄養を摂取してくれるのではないか、と期待した。同タイミングでプラレールも採用した。でんしゃ好きが明らかになってきたので、スプーンやフォークもでんしゃに関連するものを模索し始めた。

定点観測

別に定点観測を狙っているわけでもないのだけど、変化の幅をちゃんと測っておきたいなら、定点観測的にやったほうがよいよ(定点からの距離を毎回測るやりかたを採用しておいたほうが"ちゃんとする"よ)、といった話は聞くので、今回が、そういった場にはなってくれたんじゃないか、とは思った。実際、「おなじ場所に接したときの反応の違い」という意味では、お子さまの動作や表情の、前回、前々回との差は、比べやすくなっていたと思う。とはいえ、繰り返し経験することで、状況に慣れすぎてしまい、逆に、挙動の透明性がうしなわれそうな気も、しなくはないのだけど。

基準になるものをひとつ定めておいて、都度都度、そこからの距離を測るようにしたほうがよい。そのほうが精確な「差」を、有意な「差」を、見出すことができる、とは聞く。ブレなく変化を計っていきたいなら、それくらいのやりかたは、意識しておいたほうがよい、とは学んだ。ものさしが揺れ動くとよくない、というか、一定のものさしを事前に決めておこうとしない油断がよくない、といった切り口なんだろう、と理解もした。

このあたり、けっこう最近になって、認識をあらためた領域でもあるため、ヘンに意識しすぎているところもなくはないと思う。まったく同じ点からの距離じゃなくても、似た状況のものとなら、特に問題なく、見比べてよいだろう、って思っていた。いや実際、比べられはするんだろうけど、精度や意味に大きな差はあるまい、と楽観してしまっていた。なんにせよ、目新しい手法に目がくらんで、むやみやたらに適用したがっている気配もなくはないが、ともあれ、気をつけたいと思っている昨今ではある。