二回目の運動会
お子さまにとって二回目の運動会の日だった。運動会はやっぱりスポーツの日におこなわれるものなんだな、と(昨年も思っていたことを)思って、いつの間にやら体育の日からスポーツの日へ名前が変わっていたらしいね、とも思ったのだけど、いずれの思いつきにしても、しょうもない切り口だとは感じた。言及しなくてもよいところにわざわざ言及した気分になった。洞察の距離感が短かった。特にがんばらなくても手が届きそうなやつだった。複雑なシミュレートをおこなった成果ではなかった。
思いついたことをただ反射的に口にしてしまった。黙っていることができず、精査することもなく、思考停止によって、単に書き散らしてみただけだった。といった問題を懸念した話だ。
あることに接したときに、リアクション的に想起された言葉を、ただ置いているだけ。偶然こぼれ落ちてきたものを、なにも考えずに、単純に並べているだけ。脊髄反射的なことばが、かならずしも、薄っぺらさをともなうわけでもなかろうが、しかし、そういう傾向があってもおかしくないだろうと思うところはあって、結果、意味や価値も、どこかで頭打ちになってしまうんじゃないか、って怖くなったりする。「複数案」を出してみせ、選別なり取捨選択なりを差しはさんでおくことが、最終的な質を向上させる結果につながるはずだけど、という、数日前に思った改善策についても、合わせて考える形になった。
遠くでなにかアピールしていた
あっさり運動会と無関係な話になってしまい、オチみたいな書きかたにはなるけれど、運動会は楽しかった。一歳から二歳にかけての変化は流石に顕著だった。遠くのほうで、親の姿を発見し、なにかしらを訴えかけようと動いている姿、なかなか稀有な光景で、笑ってしまった。駆け寄ったりしてこないのも意外でよかった。