世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年09月24日(火)どこまでも贅沢じゃない

幸福のための期待

奴隷制度のようなひどいあつかいや、氷河期や飢饉や伝染病などの苦しい環境など、ひとびとにとって極めてツラい時代が、いくらでもあったことを思えば、現代日本が、人類史的にマシなほうなのはたぶん間違いなくて、そんな状況にいる自分が、ひどい、つらい、こわい、足りない、「楽しい時間、文化的な時間、自由な時間、豊かな時間を、もっとよこせ」、と言ってのけるのは、ダメなんじゃ、とまではいかなくても、自分本位的で、利己主義的で、独善的かつ近視眼的な、ややライン越えのふるまいなんじゃないか、と思うところはあった。

が、うーん、そういうことでもないのかなあ、と、なんとなく思いをあらためた。まだまだ「よくなっていく途中」なんじゃないか、って思えてきたからだ。もし、「いまもまた、所詮は、過渡期にすぎない」のであれば、これくらいでじゅうぶんでしょ、これ以上は贅沢だろ、と勝手に決めつけて、足を止めるのは、よくないな、とも思えた。ヘンに遠慮してブレーキかけすぎてもしょうがない。

人口を増やしすぎたきらいはある。資源も使いすぎている雰囲気だ。経済や国家もあんまり上手く回せていない様子はあるし、思想やテクノロジーが物事を停滞させたり加速させたりしてきて、いろいろとごちゃごちゃしている。無理がたたってきているかのようにも見えなくはない。限界っぽいのかなあ、と不安にならなくもない。われわれ人類はいま以上のことを世界にもとめてよいんだろうか?と疑問をいだいたりもするわけだけど、しかしそれでも、まだまだ「途中」のはずだからな~、とは思ったのだった。

まだまだどうなるかわからない。たとえ、ここからしばらく、負の連鎖のような破滅的で悲劇的な出来事が続いたとしても、いずれ、どう転んでどう落ち着くかは、わからない。行き着く先なんてどうせ読み切れない。アップダウンはそりゃあるだろう。ぼくが生まれて死ぬまでの期間が「ダウン」ばっかりなことだって当然あるに違いない。だからといって、ここらが限界なんだ、と勝手に決めつけて、遠慮しすぎる必要は、たぶんない。ぼくの人生視点からは「ダウン」ばかりが見えて、多くを求めないであげてよ……、ってたとえ思えてきたとしても、素直にそう思いすぎなくてもよい。

いまよりもさらに、世界中の皆が幸せになりうる可能性を模索していくなら、たとえさらなる負荷をかけても、一時的に迷惑をかけてしまったとしても、とにかく期待していくしかないのかな、とは思ったしだいである。