見ているところは同じまま
過去の日記を読み返す機会が増えたので、いろいろいまさら気になっている。奇をてらっているようでいて、その実ありきたりな主張だし、根拠や因果にむかって誘導していく手さばきも乱雑だし、褒められたいとイキっているだけっぽい重心の甘さ(油断)も透けて見えるし、いろいろ杜撰だ、とは感じた。
そして、いまならこれを「リメイク」できるんだろうか?とも感じた。角度や深度をよりよいものにして、目新しく切り込んだり、おもしろく語ってみせたりすることが、可能だろうか、と考えてみたくはなった。が、そこで語られている「論点」の位置を変えてしまうのは(より鋭く深いところまで切り込んでしまうのは)、それはそれで違うんじゃないか、とも思えてきた。問題意識まで変えてしまうと、変質させすぎ、というか。別物じゃんというか。
かつていだいていた問題意識が、いくら薄っぺらかったとしても、断罪するかのようにそれをまっさらにしてしまったら、たしかに、別物な気はする。別の話になってしまっている気はする。問題意識は維持させつつ、それに適合するであろう(現状の目線で、分相応な)文体に整え直す、くらいが、いまできる最善の「リメイク」なのではないか、という視点はあってよいと思う。いまはこんなところまで降りられるようになりました~、って、過去の自分を(いまの)自分の都合にあわせて、利用し、ドヤ顔していても、それはそれで無意味、と感じるところはあった。