世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年09月17日(火)昔の日記を読んで、なんだかなあ、と感じる理由はまだ気になる

看破される隙

ちょっとばかり気を引くような、奇抜で気取った命題を語ってみせたうえで、その横に、「なぜなら~」「~だからだ」と、その根拠をしめす文章も並置してみる。その主張を"支えている"ものを開示する。が、しかし、ここで提示する理由があまりに甘っちょろいと、「気取った感じ」「物珍しい感じ」が、急速に、単なる、浅薄なものにみえてきて、というか、主張の豪勢さと根拠の貧困さが調和を崩してしまって、読むに値しないと感じさせてしまう。

こういうアンバランスさが昔の日記を読み返していてつらくなる原因なんじゃなかろうか、と考えていた。崩れた亀裂から、その正体が看破される。実態がバレる。結果として、「説明になってないじゃん」と言いたくなる。「そこまでいうならもうちょっと強固な背景を構築しておくべきだろ」と叱りつけたくもなる。それくらいの根拠しか用意できないなら、不用意にそんなことまで言ってのけるべきではない、といまの自分は思っているんだろうなとは感じた。

主張することばかり(主張したいという気持ちばかり)優先させて、それを支えうるだけの根拠を用意できているかまで、気を回せていなかった。当時は、見通せていなかった。このあたりに関しては、その後、うーん、論理や表現に関する知識として、多少は理解し、訓練もできた気はするが、完成度はややあやしげだ。そして、ある根拠がある主張を支えきれているかどうかを見極めるのって、実際めちゃくちゃ難しい(ので、当時の自分にも同情の余地はある、って思ってあげてもよいのかな)、とも思った。