世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年08月31日(土)人類を語るにはまだ早い

結局は一時期

現代が(現代の人類が)ある特徴や性質を色濃く見せているからといって、人類は結局こういうものなのだ、なんて、わかったようなことは言えないんだとは思う。いっときの刹那的な有り様が、人類の可能性全体に、直結するはずもない。判断しきれるわけがない。

産業革命や世界大戦をくぐり抜け、資本主義、民主主義、科学、芸術、文化といった概念が一般化して、コンピュータやインターネット、AIなどが支配者ヅラし始めた昨今だけど、所詮は、「一時期」に過ぎない。最先端のように見える"いま"がどうであれ、総体としての人類がどうであるかは、まだ、決めつけられない。

現代的な生活環境に、実は、人類は、ぜんぜん適応できていない(文明や暮らしの水準に、いまだ進化が追いついていない)、といった話も聞くけれど、逆にいえば、今後、ちゃんと適応が進んでいくなら、どこまで辿り着けるのかは未知数、って話にもなるのだと思う。

いまのぼくらに限界っぽい雰囲気がただよっているからといって、「人類はそういうものだ」と、納得したり諦めたりしてよいのかはわからない。

たとえば、議論めいた言い争いをするふたりが、「ここに関してはぼくは人類の可能性をまだ信じているから」「いやおれは人類のここはもう諦めているので……」、と、それぞれの人間観のもとで対話していることがあるけれど、「信じるも諦めるも、そもそも、見ている範囲、"一時期"じゃん」とは思う。