常に遠目で見る
近場の展望台にのぼった。おもに電車やバスを眺めた。お子さまはやや楽しそうだった。高いところからの眺めは素敵だ。こころが洗われるくらいの肌触りがある。遠くを見る、という動作がそもそもこころよいんだと感じる。距離を置いて眺められるなら、たいていのものは、穏やかな気持ちで受け容れられる。ひとごととして捉えられる、と言うと聞こえは悪いけど、入れこみ過ぎずに済む。ヘンな切迫感を生じさせずに対処できる。
この世のすべての物事に対し、「距離を取った」動きが取れるなら、より軽快で円滑な所作が可能になりそう、とは思った。程よい(心理的)距離感で物事にあたることが理想っぽいとはもともと感じているが、遠ければ遠いほどよいんじゃないか、という仮説だ。なにごとも常に「遠目で眺めている」かのような解釈システムを構築してみせるのが、目指すべきところ(のひとつ)なんじゃなかろうか。