世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年08月08日(木)この世も遠巻きにしておきたい

遠出で距離感を

お盆休みやゴールデンウイークや年末年始とは縁遠い時期が長かった。最近はほどほどに影響がある事態にもなってきた。よしあしは不明だ。迷惑も被害も特に喰らってはいないため、特に難点はないんだろう。というわけで、明日から忙しくなる気はしている。遠出の予定だ。予想に反し、しばらくのんきに過ごせる可能性もなくはない。いずれにしても、日常から離れられそうなのはうれしい。乖離というか解脱というか、そんな距離感が、少しは取り戻せるんじゃないかなと期待している。

ほんとうに、"日常べったり"な感覚が、それこそ「日常的」になってきた。ほどよい距離を保とうとするのが難しくなってきた。コントロールしようとするでもなく、当然視する時間が増えた。人生も人類も、ときどきは遠巻きに眺められるくらいの柔軟なスタンスが、おそらく素敵なバランスだろう、と想像するようにはなったのだけど、頻度は減ってしまった。

とはいえ、最近またマシにはなってきたかな。言葉を書く習慣を取り戻したおかげだとは(勝手に、というか、都合よく)思っている。そういった活動が柔軟性を取り戻すストレッチになってくれたところはある。ちょっとだけなめらかさが復活した。じゃっかんながら元気も出た。日記、言葉、といったものから、こんな恩恵を得ることができるんだな、と喜んでいる。ほんとうにそこが変化(改善)要因だったのか、あやしいところもあるけれど。結果的には悪くはない事態だ。

セキュリティはわからない

コンピュータのセキュリティにかかわる説明を聞いた。「パソコンには詳しいほう」と、日常の範囲内では言ってさしつかえないレベルなんじゃないか、って思えることもなくはないが、専門的な切り口の話を詳しく聞くと、やっぱり、混乱させられる。どこからどこまでできるのが、上限と下限の見当をつけることができない、という言いかたが正確かな。少し気後れもした。気後れさせられるような説明ってそもそもどうなの、とも思わなくはなかったが。

こういうやりかたをオススメします、と提案されたときに、それが、最高級の提案なのか、詐欺まがいの装飾過多な切り口なのか、ごくごく普通のやつなのか、コストを削りに削った最低限のおすすめなのか、ぜんぜんわからない。妥当だ、やりすぎ、おかしい、と判断できない。

Microsoft Excelくらいなら、「こういうのってできる?」と質問を受けたときに、たとえその機能の有無を知らなくても、"一般的な"表計算ソフトの機能の幅を思い浮かべ、「それくらいできるでしょ」「さすがにそれは無理」って言えたりする。が、今回うかがったネットワークセキュリティに関する機能に関しては、そういう想像がまったくできなかった。「そんなことまでできんの?」と驚かされる場面も多かった。知識不足だった。話自体は新鮮でおもしろかった。

昨今の懸念事項として問題が大きそうな、ランサムウェアに関する認識が、けっこうあいまいなままだ。通り一遍、WEB検索で出てくるようなことなら調べもつくが、具体的にどういう対策が可能なのか、復旧させようとしたときにどこまでのことができるのか、最悪のケースだとどれくらいの傷を負うのか、いまいち想像できない。通り一遍の情報だけじゃ、どこまで怖がればよいのかも、よくわからなかった。