停滞を打破
思考や作業の停滞を打破するための、ちょっとしたコツ・工夫・ハウツーみたいなものは、たくさん見聞きしてきたけれど、実際にそれに値するような場面におちいったときに、学んだ知識を都合よく思い出せるかは、また別の話だ。とはいえ、記憶の底に横たわる知識がぼんやり蘇ってきて、なんとなく活かすことができて、その場その場で、自分なりのコツを、生成できるようなことは、まあまあある。意外とよい出来だったりもする。少なくとも、試してみる価値はある。自分に向いている可能性も少なからずあるだろう。
三つ作ってみる
報告資料を作るときなどに、「しっかり仕上げないと」「整理整頓してわかりやすくしないと」「洗練されたものを作り上げないと」と、ひとりであせって、進行を停滞させていることは、たしかにある。下手に手を出して、ぐちゃぐちゃになったらどうしよう、と、後回しにしていることは少なくない。準備万端の瞬間を待ってしまう。「準備が整うことなんて人生には結局ありえないのだ」「走りながらやっていくしかないのだ」といった格言が示すところのことも、理解はしつつ、しかしそれでも、無意識に、万全の瞬間が来ることを期待している。
かけられる時間がそれなりにあっても、手をこまねいて、せっかくの時間を浪費していることも多い。が、時間がそれなりにあるなら、たとえば、がんばって、成果物を三つ作り上げてみせるくらいの意気込みでやってみればよいじゃないの?って考えてみた。工夫というかコツというか、ひとつの打開策にはなってくれるんじゃないのか、って感じた。前に進むためのきっかけくらいにはなってくれるだろう。
瑕疵のない完成品をひとつだけ作り上げようとするから、「質が高いものを作らねばならぬ」というプレッシャーに襲われて、前に進めなくなってるわけで、とりあえず三つ作ってみますか、が前提なのであれば、たとえば、ひとつめの作品は、だいぶ気軽に作り始められるんじゃなかろうか。最終的には叩き台になることも想像できるが、それもむしろよい。ふたつめ、みっつめ、と作っていく過程で、気づけることもたくさんあるに違いない。結果的に、いろいろな相乗効果が働いてくれて、質も高まるだろう。複数の視点に支えられた出来栄えも期待できる。三つあれば一つくらい完成度が低いものが混じっていたって気にならないだろうし。ハードルは下がる。緊張しないで済む。うーん、そうか、緊張していたんだな自分は、っていうのも、気づいた。
盾の勇者
昨日の日記で「文章力」に関する話題を見かけた話を書いた。そのとき題材として取り上げられていたのは、『盾の勇者の成り上がり』(WEB小説)だったので、読み返してみた。以前にだいぶ楽しく読んだ作品ではあった。おぼろげな記憶しかなかったが、たしかにけっこう変テコな文章だった。下手だというひとがいるのもわかる、調律のズレのようなものは感じられた。ただ、個人的にはあんまり気にならんやつかも、とも思った。実際、当時、さほど気にしていなかった。別に、なんでもかんでも気にならない、受け容れてしまう、ということでもない。ものすごく引っかかって読み進められない作品もある。どこが障害になるか、軋みを生むか、ひとによる好みや相性があるんだろう。
「説明の順序のおかしさ」と「言葉選びの不適切さ」が、けっこうツッコまれていたが、特に後者の、「そこでその言葉を当てるのヘンじゃないかな~」というところは、ぼくの場合、あんまり引っかからないところだ。というか、句と句について実験的な繋ぎかたを試してみようとする振る舞いは、むしろ好きだし、その結果、たとえ違和感のある連なりになっちゃっていても気にならない。『盾の勇者』の文章の背後にはなんとなくそんな匂いがただよっている感覚だった。作者好みの組み合わせと削ぎ落としが噛み合った(噛み合わなかった)結果、好みが分かれる言葉の並びになっただけ、という解釈もできると思った。ぼくはたぶん思考停止っぽさが嫌いなのだけど、『盾の勇者』の文章って、あんまり思考停止っぽくはないよな~、て感じた。