文章力
文章力の話題を見かけた。文章力という概念は複層的だよな~、という認識がまずある。「文章力」というものが単体であるわけではおそらくない。だから、たとえこの単語だけを使ってなにか言ってみても、特に妥当なことは言えないだろうとも感じる。いろいろな要素がズレつつ重なっていて、どうしたってあいまいになる言葉、と言えるかな。
文章力という言葉の裏側にある「複層的に重なっている要素」を、しっかり分類できているかと言われれば、まあできてない。にもかかわらず、「この文章、下手だな~」「上手いな~」とか、なんとなく感じることはたしかにあって、なんらかの基準があるみたいだ、とは思わされる。
「てにおはがおかしい」というのは、まず思いつく。「時制がおかしい」もあるかな。基本的な文法面だ。「主張の根拠が甘い」「論理が破綻している」「話が飛躍している」「接続詞がおかしい」といった問題も思いつくところだ。論理面の問題。「言い回しが気取っていて、わかりづらい(日常的ではなく、時代や文脈に沿っておらず、不自然)」「概念・単語を選ぶ基準があいまいで、ところどころ打倒じゃない」「専門用語の使いかたが不適切」みたいな表現の問題もある。「てにおはがおかしい」までいかなくても、「形容詞や副詞をたくさんつけすぎ」「主語がうしろに来すぎ」「倒置法を多用しすぎ」「その形容詞ってその名詞に繋げるルールなくない?」みたいな句やレトリックの問題もあるだろう。「説明が足りない」「描写が過剰」「余談に流れすぎ」「カメラワークに違和感がある」といった話の進めかたの問題もあれば、リズムやテンポが悪いといった文体・音声的な問題もある。それぞれ微妙にレイヤーが重なったりしているようにも思える。整理は難しい。「端的に、読みにくい」という問題の位置づけも微妙だし。
気になるところ気にならないところも、ひとによって異なる。ぼくの場合でいえば、「変な断言」みたいなところがとても気になる。「いやそこ断言するのおかしくない?」「決めつけっていうか単なる思いこみじゃない?」っていうツッコミが、頭の中をただよいがちだ。世界の構造や法則がどうなっているのか、人類や歴史がどういった経緯をたどってきていまどこにいるのか、ひとの精神がどんなふうになっているのか、確定させるための理屈も情報もないまま、ただ「断言」されると、萎える。ただ、決意表明や意志の強さをあらわすために、あえて「断言」してみせるシーンも、もちろんあって、それは、気にするところではないんだろう、とも思っている。ちゃんと区別できるのか、とも思わなくはないが、そこは、言葉遣いによって、嗅ぎ取らせてくれる作者とそうでない作者がいる。