世界は称賛に値する

日記を書きます

2023年12月16日(土)つまりとむろんを使わない

詰まり・無論

子どものころ書いた文章を読み返すときには、「つまり」と「むろん」に警戒しているところがある。浅っ、とツッコみたくなるような言説が出てくる予感を感じて身構える。浅はかなことをドヤ顔で語っていそうで怖くなるというか嫌になる。「つまり」でわざわざ収束させていくほどのポイントか?「むろん」で当然かのように語ってみせるほどの話か?という疑問が湧いてしまう形だ。大袈裟な前フリをしたわりに口にするのはそんなことかい、ってなる。

「つまり」や「むろん」って少し怖いな、とあらためて思ったのだった。ただでもこういうのって結局は"そのときそのときの限界"に挑むしかないってのも確かなんだよな~。浅いかどうかなんて気にしていられない。そもそも相対的なものだし。年齢や経験によって変わる。小学生のぼくが頑張って「つまり」「むろん」と語ってみせたものが、いまのじぶんからたとえ"浅く"見えたのだとしても、それこそ、ドヤ顔で「浅い」とか言って切って捨てられるものでもない。今日のぼくが精いっぱい思案して「つまり」「むろん」と語ってみせたものが、一週間後のぼくにはやっぱり「浅く」見えることだってあるだろう。浅いか深いかなんて一律には定められない。そのうち一周して、「浅い」という判定そのものがむしろ「浅い」ものに見えてくることたってありうるわけだし。

むやみに怖がって「つまり」「むろん」を避けているほうがダサいんじゃないの、というツッコミもまたあってよい、とは思わされた次第だ。

ただ、「つまり」「むろん」を使わない文章も、別にふつうに可能ではあるんだよな。特段むずかしくはない。だったら別にわざわざ擁護してあえて使おうとしなくてもいいんじゃないの?(使うことを避けられるなら素直に避けてればいいんじゃないの?)とは思った。