世界は称賛に値する

日記を書きます

7/30(日) 泡沫の対話を意識する

日曜日

お客様を迎えた。気が置けない間柄のため準備は簡単に済ませられた。そういえば「気が置けない」が「気を使う必要がない様子」を示すのはいまだに慣れない。「気を許せない」「気が休まらない」と同様の音色でどうしても聞いてしまう。ほどほどに話ができたんじゃないかと思う。最近だと稀有な機会だ。丁寧に話せる機会はよい。少なめの人数でおちついて話せる場は昔から好きだ。ずっと変わらず好きである。けれどなんとなくそういう機会が減ってしまった気はしている。落ち着いて話せる場所が減った。話せる相手も減った(話題に限らず話のできる相手がそもそも減った)。可能ならなんとかしたいなとは思う。子ども用のおもちゃも貰った。お子様に渡した。知恵の膨らみかたが最近は爆発を思わせるくらいの勢いだ。油断すると新しい行動を体得している印象である。おもちゃはその流れを加速してくれる。ありがたい。おもちゃごとに新たなアクションを獲得させてくれるのがありがたい。技の範囲が拡がると言えるかな。直近だと積み上げアクションがなかなか好きそうである。

準備をおこたってきた

明日の仕事のことを頭の中で動かして準備を少し進めた。難しめの課題があるだろうことを想定している。"しっかり準備する"という行為ををほんとうにおこたってきた人生だと最近は思っており、そこに対する後悔も反省もあるため、今回のような「難題であることが想定されるけれどしっかり準備すればかなりの効果が見込めるであろうことも想定される」事例は、極めてありがたい。訓練ができて嬉しい。「その場のノリでなんとかなるでしょ」「失敗しても別にいいでしょ」「頑張ってもたいして変わらないでしょ」といった臨機応変に見せかけた軽挙妄動のよくなさは、なんとかわかるようになった。その場のノリではなんとかならないこともあり、失敗しないほうがよいこともあり、頑張ったらけっこう変わるじゃん、と思えるようになった。理解が進んだのはとりあえずよかった。