世界は称賛に値する

日記を書きます

証明書の日曜日 6/4

日曜日

進めたほうがよい保険の手続きがしばらく前からあって、昨日は書類の準備を進めた。順調に進められたので今日はそれをさらに前に送ってもよかったはずなのだけどサボってしまった。サボるって書くと、サボるってなんやねん、という疑問は湧きがちだ。そもそも人生にサボるもサボらないもないのでは?(絶対にやらなければならないことなんてないのだから、その基準自体が本来的には幻想なんじゃないの?)という考えかたはあると思っていて、理屈もわかるし、どちらかといえば好きな考えかたである。が、とりあえず「〆切」と言えるような設定があって、そこまでの限られた時間という捉えかたもあるときに、それを無駄にした自覚があるなら、それを「サボる」と呼んでも、まあよいんじゃないの~、とも思う。よいんじゃないのというか、なんだって、どんなものだって、言いたければ言えばよいし、呼びたければ呼べばよい。定義とか意味がちゃんと”そぐう”かどうかなんて知ったことではない、といった粗野な言葉の使いかただってもちろんアリだろう。存在とか感情というわけのわからない事柄に「なにか」を向けようとしてみせる(形や姿のようなものをあたえてみせようとする)挑戦的な試みが、そんなお行儀よいわけもないし。お行儀よくルールを見つけてルールに従って動くのもおもしろいし、ルールが跳ね返されてくる粗野な振る舞いに出くわすのもおもしろい。雑な整理で誤魔化そうとしているだけな気もしてきた。まあ軽い指針くらいにはなるだろう。なるとよい。

かしこまる

「さて」と居住まいを正し"なにがしか"をテーマに一席ぶってみるよりも、日常の風景を描くような中で流れに引き寄せられてきた思想や信念の語りのほうが、みずみずしくて、素直で、素敵だ、みたいな感じは、あるかなと思う。よい感じに書けることはある。