世界は称賛に値する

日記を書きます

敬愛する火曜日

好きな書き手比べ

好きな本の著者と、好きなブログの著者、二人を並べて、二度とその手による文章が読めないとしたらどちらを選びます?と聞かれたら、非常に悩むことになるな、っていう空想はよくしている。選べないくらいどちらにも好きな人物がいるせいだ。できるだけ長く書き続けて欲しいと日常的に思っている本があって、ブログがある。といった状況の中で、こういう謎の比較をすることで、遊んでいる、とは言える。好きな人がいる、ということが素直に楽しいから、なんかそのまわりをうろうろするのも、楽しい。

Twitterの出現時

そういえば昔のインターネットは人に話しかけづらかった。最近は運営にかかわる事案でTwitterまわりが騒がしいけれど、あのTwitterの出現によって、ネットごしの人に話しかけやすくなったところは、ある。明らかにコミュニケーションが変わった。そこについては、愛憎相半ばする、という感覚だ。SNSなんてなかった頃の、直接するっと話しかける手段自体がなかった頃の、インターネットも、すごく好きだった。リンクやトラックバックに対する緊張感が好きだった。

コミュニケーション変化なし

昨今は変わってしまった、的な雰囲気で書き進めてみたものの、じぶんはあんまり変わってなくて、今でもたぶん、緊張しているし、積極的には話しかけられていない。見栄やら虚栄やらで変なこと言って侮られたくない的な自意識過剰寄りの気持ちもあるし、変なコミュニケーションを発生させて困らせたくないという謎の気遣いもある。結構な年齢になってもあんまり変わらず気にしちゃうのね、という反省も、あきれもあるし、そうじゃないほうがよいほうに進むことが多いのになー(無遠慮に話しかける良さもさすがに知っている)、という経験則のことも思うのだけど、だからって、ここで一念発起して改善してみせよう、とか思うかは微妙だ。

びびる

ビビッて、ひとり殻にこもって、ぐだぐだやってるのは、まあよい。たいして迷惑も掛からない範囲だろう、とは思っている。ただこのあたり、浅はかに具現化させてしまうと、なのでそっちから話しかけてくださいな、ぼくは話しかけてもらっても迷惑じゃないのでがんがん来てください、つまり「労力はそっちが払ってください」になることがある。あるんだよなと思っている。いつの間にかそういった思いを結晶化させてしまうルートは、作ってしまいがち。あんまり好きじゃない、と、こういうふうに文章でも書いていれば思えるけれど、でもそう思っていても、嫌いなルートに足を踏み入れていることは多々ある。油断するとすぐ流される。

話しかけてもよさそうなことはありがたい

まあビビりつつも、昔と違って、話しかけてもわりと自然になった、ということは、ありがたいな、と思っている。言いたいこと自体はあるというか、好きだとか尊敬しているとか言いたい欲は、強めだ。話しかけ自体は目立たなくなった、空気が変わった、ということによって、そういうことを言う機会が増やせそうならありがたいな、とは思うのだった。愛憎相半ばするところがあるにせよ、有益なところについては活用もしたい。ありがたさも思いたい。

はてなアンテナの登録

はてなアンテナで間接的に(間接的か?)感謝と敬愛を伝えられるのが好きだった。登録させてもらうことで、感謝と敬愛を伝えているつもりだったし、だから逆転させて、登録してもらえるのも嬉しかった。いや別にそんな気持ちで登録してないよ(気持ち強すぎるだろ)と感じる人がいるのも当然ではあるけれど、自分の場合は、それくらいの気持ちがあった。それくらいインターネットとか日記とかブログとかが好きだった。

伝えるかどうか

昔とはけっこう空気変わってきたし、好きなブログに、好きですー、って言ってしまってもいいのかなー?っていうことは思うのだった。まあでも恥ずかしさも照れもビビりもあって、結局、ぐだぐだ考えてしまう次第だ。言うことでプレッシャーが発生するのは嫌だし(でもそこまで強くブログに寄りかかっている人も減ったんじゃないか?)、もちろん気持ち悪い感じになっても嫌だし(このへんが昨今の空気ならうまく流れてくれるんじゃないかと期待するわけだが……)、変なふうにも考えてしまうのだけど、でもしかし、一度は丁寧に伝えておくくらいはしないと、このまま、感謝や敬愛を伝えることなく死んでしまうのでは? といった恐怖を思うようにもなってきた。

やっとかないとちょっと

恥ずかしくても(恥をかくことになっても)やっとかないとちょっとね~、さすがに寿命とかがね~、ということを、昔よりは思うようになった。加齢の話なんだけど、そこまでの年齢か? いや別に実年齢関係ないだろ、若い頃から思っててもいいやつだよこれ、とかは当然考えている。

リンク集コミュニケート

はてなアンテナで間接的なコミュニケーションを描いたつもりになったのだけど、その前段階に「自分のホームページのリンク集」があったわけで、これはわりと直接的なんじゃないの?(昔は間接的なコミュニケーション空間だったのにね~、というのは、よくよく考えたら、実情と合わないのでは? と思えてきた)(いや、リンク集で「つながっているか」って、当時は、アクセス解析見て、あ、ここから来てくれてる、リンク張ってくれてる、って気づいて発生してたわけで、じゅうぶん間接的なんじゃなかろうか?)