世界は称賛に値する

日記を書きます

トレーニングとパフォーマンスは相性悪い、かな

▼▼日記やブログに対する意識は、研鑽/訓練/鍛錬/トレーニングあたりに寄せてる雰囲気がかなり強くあって、読み物/パフォーマンス型の認識とは、まるで噛み合うところがない、とまでは思わないけど、決定的に噛み合わない箇所はありそう、って気はする。
▼▼追記。
▼▼適切に噛み合わせようとすると格段に難度が上がっちゃうところがありそう、っていうのがより精確な認識になる、かなあ。別に不可能じゃないけど困難だ、なんて言えるような事態だ。▼▼厳格で緻密で丁寧な調整によって両者が持つ利点をよいとこ取り式で享受可能だけど──おのおのが持つ利点と欠点のプラスマイナス計算の細かな調整によって最終的な合計値をプラス側に寄せることは理論上可能だけど、時間やら心やら躰やらのリソース喰いが半端ないので、正直おすすめしづらいし、むしろ分けたほうが明らかよかろう、なんて言える事態が時々あるけど、これなのかなって思う。
▼▼トレーニングとパフォーマンスの両立を狙った時に相性悪くなるのって──っていうか「同時に目的化しちゃうと──同じアクション内に組み合わせちゃうと、動きが「無謀なくらい複雑すぎるもの」になっちゃいそうなの」って、惰性や繰り返しや習慣、あたりが絡んでくる性質なのかな、って思ったりした。
▼▼惰性的な繰り返しでトレーニングを続けられるようになるのって、おおまかに言うなら、比較的よいことだろう、って思えるけど、惰性による繰り返しがパフォーマンス面に関わってくると、おおまかに言って駄目そうで、もし関わらせるならほかの要素でかなりうまく回せてないと結局駄作を産み出しがち、って言えちゃう気がする。▼▼毎日更新の話もつまりこのあたりに関連させて話してるところありそうかな。