▼▼世界に対する工夫って途切れないのかなあ、って心配が子どもの頃からある。人間は世界を改善し続けられるのか──頭打ちにならないの? って疑問だ。子どもの頃から創意工夫により諸々が便利になり続けてるけど、このまま進み続けられるのかなー?なんて疑問がたまに浮かぶのだ。舗装工事も水道工事もいつか終わり、文房具の使い勝手にも限界があり、買い物のしかたの変化にも終わりがあるんじゃないかな、って思う。
▼▼けどまあ、現時点までの経験によって、人間は結局、好き勝手に新しい物事や概念を新造したり捏造したりして、改善できるであろう対象を増やし、対象を増やすことにより創意工夫しうる案を水増ししてるので、人間の工夫的発想は、永遠にではないにせよ、螺旋みたいにぐるぐる落ちきらないで──使い切ってしまわないで、いられるようだ、って思うようにはなっている、かな。▼▼認識の距離を変えることにより、工夫対象の、範囲や細やかさを調整し、まるで違うものを相手にしてるように見せかける、っていう水増し型もあるかなー。飲み物相手取るのと珈琲相手取るのの違いのような。