世界は称賛に値する

日記を書きます

水無月は暗い説明とともにばたばたする

▼▼複雑な漢字が好きなので六月よりも水無月が好きだ。陰暦の月の名前はぜんぶ好きに値してる。昨日の夜から不穏な天気予報は確認していた。天気予報は普段から携帯電話アプリで確認していて、早朝から、ばっちり90の文字が浮かんでいた。つまり降水確率90%だった。電車通勤にしよう、と決めたけど、まあ雨が降らなくても電車通勤にしてた可能性が高い。最近は電車通勤にはまっている。もろもろの好都合による、と言える。不幸と不安の混じった伝達事項があって、昨日からだいぶ憂鬱だった。出勤して演技じみた暗さと不安さを交えて話を伝える。無理矢理明るく話すほうが好み、というか、無理矢理明るい振る舞いで話してみせたほうが、おそらくじぶんの気持ちも明るめに動かせたのだけど、明るく伝えてしまったら嫌味に見えるだろう状況だとも思えたので、不安解消は諦めて、暗さを讃えたまま伝えよう、と決めた。昨夜から想像してたよりは暗い雰囲気にならなくて、よかった。当月の水無月から環境がおおきく変わったのだけど、またさらに一段階変質するかと想像される。習慣で動いてくのは難しくなるだろう。なんていうか、簡単に言っちゃうなら、忙しくなるはずだ。が、単に最近サボりすぎだっただけだろ、って思えてしまうところもあり、まあ、不満感には繋げにくい。実際ほんとうにキツイかどうかも微妙だし、実際にキツかったとしても自業自得感あるせいだ。キツさの平均や一般問題は微妙だ、ってよく思う。というか、思ってしまう話に遭遇する。人間に与える苦労は零でよいのかも? いや最適な苦労量があるのかも? なんてあたりが不明なせいだ。もしかして経験則から判断することすら無理がある? と困ったりだ。とはいえ、じぶんが踏まえてきた世界観や人生観と、苦労量と疲労と気持ちよさ等々から、まあ「じぶんに対してはこれくらいの重荷を与えておけばよさそう」って思うだけなら思えている。っていう判断における誤解可能性は怖い、っていうのはある、っていうか、誤解がありうるかもね、って話を始めると明らかに面倒なんだけど、あえて語ってみせよう!とすると面倒に思えても、じぶんの気持ちの中では特に難解でも面倒でもなく保持できてる認識って結構沢山あるし、ここもそうっぽいし、まあだから、混乱も困惑もあまり強くなく、ぼんやりふんわり、認識してみることはできてますねー、って思える程度の落ち着きと理解はあるかと思う。比較的口当たりのよい言い回しで話せたので今は変に気負わず素直に眼を向けられてるだけ、って気もするけど、まあ、まあよし。業務はばたばたした。比較的派手に動いて働いたりもしたけど、あくまで環境整備と準備的な動きで、つまり、しんどかったけどしんどさが続くものではなかったので、今日の量を今後の予測のための母数には組み込めないから、悔悟も改心も特にない。してもシャーナイ、って認識だ。言いたくなるだけか。言うなれば、今日だけのことを頑張った。今日だけ24時間だけ頑張るぜ、って言葉使いが最近できてないなー。好きな解釈律なのでもっと使おう。無駄遣いしていく。