世界は称賛に値する

日記を書きます

知性理解の幅広さと、知性向上

▼▼整理する技術を知性だと思いすぎ、って思った。整理する技術が知性でもいいけど知性という言葉を聞いた時に整理技術だけ想起しすぎ、と言い換えもできると思う。
▼▼知性に対する理解が知性向上に役立つのは間違いなさそう──まあせめて無駄や非効率を防げそうう、って思った。でも、知性に対する「幅広い」理解が知性向上に役立つかは微妙な雰囲気だなー。幅広さは影響してくれるのか? 無駄や非効率を起こしそうとすら思える。▼▼まあ「置きかた」による気もする。知性の幅広さを知ってなお、あるいは知り得たからこそ、知性に対する理解をいかに配置するか。▼▼知性に対する姿勢はやっぱり「狭く鋭く」あたりが効きそうに思えるし、理解範囲が拡大したならしたで、うまく配置して回せないと、結局無駄が増えちゃう気がする、みたいな理解があるみたいだ。