世界は称賛に値する

日記を書きます

フリーゲームから自作ゲームへの移行気味

▼▼実況プレイ動画をだいぶよく見る。最近はフリーゲーム実況が比較的人気だ。発想の斬新さ奇抜さによる評判の呼びやすさ、および、著作権まわりの回避のためかな、と想像している。話題性からの良循環で、製作者もソフト数も増えてる印象がある。
▼▼以前は「フリーゲーム実況プレイ」だった動画タグが、最近は着実に「自作ゲーム実況プレイ」に置き換えられつつある、のに気づいた。ここまで統一的に動きがあると、何らかの議論があって指示決定されたのだろう、って想像しちゃうのだけど、動画タグの衰勢を決定づけるような合議空間があるかな、というのも想像してしまう。
▼▼正確に言うと、合議空間がありうるかは別に問題視してなくて、あってもぜんぜん違和感ないのだけど、議論と決定を受けて誰かが一つ一つ手作業で直してるのかなー、って問題をむしろ考えてしまうのだった。微妙に楽しそうだよなー、って思う。
▼▼言葉が「フリーゲーム」から「自作ゲーム」に移行しつつあるのは、フリー、って言葉だと収めきれない範囲のものが増えてきたからだろう。同人だったりアプリだったり無料じゃなかったり。フリーゲームじゃ誤解が増えるだろ、って認識はわかりよい。
▼▼ほんとうに移行しつつあるのかは微妙なところな気もしてきた。▼▼あと「じぶんで製作したゲームを紹介する動画」に対して「自作ゲーム」ってタグを付ける、って文化もあったようだ。若干の齟齬ができちゃってるなー。▼▼言葉の発生初期におけるのこういう派生的な齟齬というか粗さが、のちのちまで残って、言葉整理を面倒にさせるんだろうなあ。誤解は消えてくものだって幼い頃は思ってたけど、ぜんぜん消えることなく地味にのさばって、勝てば官軍的に最後は市民権を得ちゃう奴がいる、とは学んだ。