世界は称賛に値する

日記を書きます

土曜日の始まり

▼▼以前は文学がよくわからなかった。けど最近は、まあまあ実践を見てきて、意外と理解できた、というほどではないにせよ、領域や下地、雰囲気程度は、微妙にだけど、嗅ぎ取れるようになってきたかなー、って思っている。文学って挑戦では? って、今は数割思っている。でもって、言葉への挑戦、物語への挑戦、表現への挑戦、世界への挑戦、が混じり合っているのだよなー、っていうのも同時に思っていて、混ぜ合わせたことによる相乗効果とか化学反応とか言えるような組み合わせの妙が、素敵さを増幅している、なんていう印象がある。のだ。▼▼切り出して明確に説明するようなことができない、というか、切り出すとむしろ説明できなくなってしまう、ような現象を──事柄を──つまり世界を、物語を使って語り描写してみせる、ってことが、文学の原野かな、あたりは、合わせて思う。▼▼なので、こだわろう、と思ったら、言葉にも物語にも──表現にも世界にも、こだわることが可能であり、なんていうか、いろいろなこだわりかたができる。っていう多様性というよりは「多要素性」が、文学、ってものを支えているところはあるかなあ、っていう認識である。▼▼解釈者側と表現者側で文学の切り分けないと駄目かなって思うこともある。多要素への視線が読み手と書き手じゃ全然違いそうだ、って思う。
▼▼起床時刻は午前11時半。勤務は休み。若干業務が残っているので寄ろうかなあとか思っている。昨日は手持ち無沙汰に負けて整理術の本を買ってしまった。読もうかなと思う。慌てていて持っていけなかった。のだ。▼▼世界樹の迷宮新作かメタルギア新作が滅茶苦茶欲しいけどシレンがおもしろすぎるので次に向かえなくて困っている。

備忘録的ニュース風インデックスの記録です。昨日読みました。感銘感動の記録帳。

→ 「なるほど俺はそれを見たことがない。触れたこともない。世界の広大さを考えればこの先も一度もそれを見ることはないのかもしれない。それでもだれかがその美しい物語を綴ったのだ。人間は、人間の思考形式からまったく自由な物語を作ることはできない。ならばその萌芽は、かならずやこの世界のどこかに存在しているのだ」

→ 「本や調査をレポートに書いてはだめ。この授業にぴったりの情報はない。この授業でしか聞けないことをやる」

→ 「話が飛ぶが、現代のある種の問題は、政治性の枠それ自体が桎梏となりうるような状況のなかで、ある種理想的な(モデル的なという意味の)ヒューマニズムというのはあってしかるべきだし、欧米にはそれなりに流れがある。日本人の場合、人情の延長というのはそれなりに人種を越えてあるし、仏教的な平等観もあるのだが、人間の尊厳を歴史の原動力に組み込むような意識はないのではないかな。これは私が誰かを批判するとかという意味では全然なく」

→ 「なぜ人は、自分のやっていることを外から(上から)説明されないと安心できないのかなあと、つくづく(苛立ちつつ)思う。それは逆に、なぜ、外から (上から)いかにももっともらしいお墨付きがやってくると、簡単に納得してしまうのかなあ、ということでもある。「あなたの現在位置はここです」って示しているその地図は、ほんとにそんなに信用出来るものなのか」

→ 「ルールと言ってしまえばつまらなくなるが、語ると長いw 俳句は「切れ」の文学つって、余韻が大事な文学なんだ。最後に「や」という切れ字を使うと切断されてしまってよくわからなくなる。ことが多い。「君」に関しては、俳句はできるだけ主観的感傷的なものはいらない。そういうのは川柳の領域」

→ 「結局は自分の正しさなんて確認できないのです。 自分を奮い立たせる言葉、は、自分の正当性を確認したいがための言葉、でしかないという一面もあります。 だから、そこについては考えない。 基本的に全部が作りの私にとって、その命題って割と致命的。 作りでも、正しくありたい」