世界は称賛に値する

日記を書きます

木曜日の始まり

▼▼敏感に違いを見てしまう時の自分の精神を漁るのは好きである。なー。

昨日読んで感銘を受けた文章の記録です。嬉しく思っています。自分向けニュース風。

→ 「言葉で伝えなくても伝わる、というのは、とても魅力的だ。人間関係として、素晴らしい状態だろう。お互いの意思疎通が本当に高度なレベルで行われているということだ。けれども、それは非常に危険な状態だ。殆ど偶然で動いている。快適に動いているWindows95みたいなものだ。いつか本当の危険がやってきたときに、それは簡単に崩れるだろう」

→ 「俺は「笑い」に近いものがあると思う。説明されて分かるものじゃないし。分かる奴は分かるし分からない奴は説明されても分からない」

→ 「私は、今の社会のあり方は、人間の本性よりも紙というデバイスの特性に影響されていると思う。お金も法律も紙というデバイスの特性抜きにして、今のようになっていることは説明できない。いろんなことが硬直的なのは、人間の特性ではなくて、紙というデバイスの特性であって、今の人類は、無理に紙に適応しているのだと考えている。人間はもっと軽くて自由で、紙よりはビットの方が相性がいい」

→ 「あーわかるわかる。その感じ。情報を情景として《イメージ化》できると把握や理解もクリアになる。物語化ともいえそうだし、頭の中で映画のスクリーンを持ってるような感じといえばいいのか。 でも、その能力ってある日突然壊れることもあるのよね。世間でいういわゆる左脳的作業とかデータ重視でイメージを排除した作業環境に浸かっていると、イメージ化能力の機能が減退したり麻痺したり壊れたりすると思う」