世界は称賛に値する

日記を書きます

木曜日の始まり

▼▼比較的平日は暇にせよ、暇な時しかできないことだってあるはずなので──単純な運営回しだけが職務ではないのは確実であり、ゆえに運営回しに時間を「取られない」日しかできないこともあるはずなので、実際は、平日「も」忙しいはずである。なのに忙しくないなら見逃しているのだろ、なんて最近はよく思うなー。暇認識の油断および全体像の見えてなさがわかるようになった。理解は遠いなあ。知性不足の可能性もアリアリで、ほかの分野でも、同じ視野の狭さに陥ってないか、考えねばな、って思っている。

昨日読みました。記憶して活かしていきたいと思える言葉群の、記録的ニュースです。

→ 「前までは「めんどくさいのでしません」と言いっぱなしではなく、直後に「改善します」とかなんとかくっつけて、ある観点からすると責任逃れをしていたものだが、ごく最近はそれも不誠実なんじゃないか、という気がしていて今日はこう書いてみた。それとも自意識が薄まったのかもしれない。それで同時に日記を書く原動力が弱まったのかもしれない」

→ 「これらの諸能力を自在に活用できると相当実践力は高まるだろうし、こうした暗記・計算・理解・情感を高めていくことが重要なのではないかと」

→ 「で、こうして蓄積されたデータとその解釈が権威として集団内の個人に対する行動制御要素となり個人の行為に対する影響力となっていくのだが、個人からすればそれはそれで環境でしかなく、確率的な予測への信頼か否認かの選択でしかない。そうした蓄積されたデータや導き出された解釈を信じるか、信じないかということは、個人内部で形成されていく認識の体系につながるかつながらないかという可動点があり、集団が個人を支配しあう綱引きゲームにおける鍵となる争点にもなる」

→ 「まだ感想がまとまらない。消費できていないからだ。モノは消費できなければ「感想らしい感想」を持てないということが、だんだんわかってきた。瑣末や枝葉に流れるのは簡単だが、全体を見るのがむずかしく、実感を持てない」

→ 「その場合にどうしても必要なのは、方針であり、方針に基づいた大義名分と、それに対する相手のコミットであって、そのための手段はたくさんある。交渉なのか紛争なのか、それはあまり重要なことじゃない。大事なのは、問題が解決すれば、こういうメリットが加担した人たちに与えられるのだ、というところまで、しっかり結論を出すということだ」