▼▼言葉や文章を実際に書いている時に深く下りていける思考があるわけだけど、普段から下りていけないなら駄目だろうともよく思うので、言葉や文章に乗っている時の自分は好きじゃないなあ、と思う瞬間がごくごく稀にないではない。言葉や文章を視認してる時は、記憶に割く容量が減って、視野の移動や距離に容量を回せるから、結果として深まりやすくなる、って認識なんだけど、どうなんだろう。目の前に「書きつけて」おかなくてもできる、何か、はないものかなー。部屋の整理とかが比喩になる、かな?
昨日読ませていただいたものの備忘録的な自分ニュース風のものです。感銘の記録。
→ 「それぞれのキャラクターに続いている時間があって、主人公と同じだけ時間を重ねているのがわかる。だからこそ、最終巻はもうあちこちでぐっときてしまってなかなか読み進められなかった」
→ 「両方助ける!と叫ぶような「無理難題」なモノで。こういう二元的選択肢を、第三の道の選択肢で逃げ切る方法は、土壇場になった場合はもう不可能なんだよね。だから「準備」と「覚悟」がいるようだ」
→ 「時々自分の人生の残り期間を横軸にとりながら、この3つのバランスを調整していくのも悪くないかもしれません。同時に3つ選ぶのは難しくても、時期をずらせば全部を楽しむこともできるのですから」