世界は称賛に値する

日記を書きます

水曜日の始まり

▼▼意思と意志の使い分けによく迷う。指向と志向に、嗜好や思考も交えて迷うことも頻繁にある。同じような構造や状況に見えても、相手が「人」や「心」だと、人間は、特別扱いする癖があるのだなー、とも思った。死ぬと壊れるの違いというかな。▼▼駄目なことのような気もするし、すごいことのような気もする。特別なものに見えてしまうこと。
▼▼起床時刻は午前7時。勤務開始は午前9時。引き続き新人指導が待っている。

昨日読んだ忘れたくない文章達の記録であり、個人的自分ニュース風です。

→ 「「死と呼ばれる何かを詩と呼ばれる何かにすりかえる」のが詩作であるとしたら、ことばを手にするといつのまにか死と呼ばれる何かにすりかわってしまうというのは何でしょう?これは言葉をなくしていく道ではないですか?―というコメントについて考えている」

→ 「五番目にnがくる六文字の英単語と、ingで終わる六文字の英単語だったら、なんとなくingで終わる六文字の英単語の方が多そうな気がしますよね。でも冷静に考えれば、ingで終わる六文字の英単語はすべて五番目にnが来る英単語でもあるので、前者の方が多いのは明らかです。可用性バイアスというそうです」

→ 「仕方ないのでテレビをつけながらファインマンを読んだ。自然数から整数、有理数、実数、複素数と数を拡張していく話の流れが素晴らしかった。こんなに美しい教え方が何十年も前にされて記録に残っているのに、これよりもさらにいい教え方をしている人がたくさんいるとは思えない。うまくアレンジすれば子供に教える時にも納得させられると思うのだが」

→ 「自分はそのどれにも参加してないのだけど、個人的に思うのは、「普段使っている環境から切り離すと自分のエッセンスが相対的に増える」ということだ。特定のコミュニティでつながっている奴らは同じ言葉や話題を共有してソリッドになっていくけれど、そう言うのと距離を置いてどこにも参加しないでいると、自分の経験や過去の記憶に基づいた判断で動くようになる。 俺個人の場合は、「へりくつ原理主義」みたいなのが根底にあるようだ」

→ 「私が忌み嫌っていたあいさつメールは、おそらく、そういうコミュニケーションの発展形で、かなり高度な文化であると推察できる。その根拠としては、おそらく、あいさつメールの発展形では、そのメールの意図とか意味とかは、ほとんどゼロに近いであろうからだ。メールのやりとり自体に意味がある世界だと思われる。それはかなり純度の高いコミュニケーションである可能性が極めて高い」

→ 「今はもう、認められたいというより、報われたいって感じになっちゃったなあ」と友だちが言うのをきいて、あらためて考え込んでしまった」