世界は称賛に値する

日記を書きます

日曜日の始まり

▼▼異様に「書けない」心理から、諸々あって、運良く「書ける」心理に切り替えできた時には、粗雑な比喩ながら「間合いが間違ってたなあ」なんて結構思う。視野の間違いや距離の間違いが自覚できた、なんていう変貌を理解できた、かのように感じてしまう。
▼▼けど、改めて書けない状況に陥ってしまうと、同じように、また、間合いが見えなくなって、簡単には調整できなくなるのだよなー、って考えていた。間合いを巧く切り替えられたことはある癖に切り替えかたは全然憶えていられない、のだ。再演できない。まだ形式化できていないんだろう。形式化できる日なんて来るのだろうかだ。
▼▼起床時刻は午前7時半。勤務開始は午後2時。けど新人指導があるので早く向かう。
▼▼視野とか距離とか適当な比喩で曖昧に考えるから駄目なのかなー、とは思った。

記憶インデックスおすすめ版で、昨日読ませていただいた素敵なものたちの記録です。

→ 「本来、それをどこかでストップさせるものは一番凄い暴力が他を圧倒すること(警察とか国家とか)だが、ここに書かれている状況(それは現実と地続きである)では、大統領さえもマフィアによって当選させられているわ、警察はわいろ目当てでなるようなクズばっかりだわで、強大な力が存在しえない。そんな、地獄みたいな状況を書いているのが『犬の力』なのだ」

→ 「小説作品にはそれを読んでいる自分のことなど何も書いてない。だいいち自分なんて世界のほんの片隅にほとんど何も知らずにいるだけの存在だ。それなのに、結局その小説が「生きられる」としたら、そのように限定された読み手を通してでしかありえない」

→ 「私は「私」という素材しか持っていない。作品に触れる時、その貧しさが露呈する。作品は、その貧しさのなかにしか現れない何かだ」

→ 「信念を持たない奴は嫌いだが、自分の信念を疑わない奴はもっと嫌いだ」

→ 「意識とはログだよ!ログにアクセス出来ている時は、意識があると答えるけど、アクセスできなくなったら、あの時は無意識に行動してた、と僕らは言うんだ」