世界は称賛に値する

日記を書きます

一日の始まりとして書く文章

▼▼以後の予定について。試験勉強を二時間はしよう。しよう、とか書くのが駄目なのでは? なら、試験勉強をするし、しなかったら財布の中の一万円札捨てよう、でどうだろうか。まあありかな。巧いこと背筋がぞっとする。想像以上に真剣にぞっとできる。これはするなー。素直に勉強するだろうし、しなければ本当に捨ててしまうだろう。しないと駄目って思えるだろう。とかいう無茶かつ思い切りのよい(?)性格であることはわりと嫌いじゃないところだ。財布の中に一万円札を入れておかないとなるまい。って感じで真剣味を呼び出すのも好き。というわけで勉強しなかったら本当に捨てます。捨てるというか「財源からマイナス」と認識できる形でどうにかしよう。寄付とか考慮しておく。
▼▼勤務は休み。顔は出す。まだ「出そう」って書きそうになって反省した。決定事項は決定事項として書かねば駄目だろう、とか認識しておく。過去形で「予定」を手帳に書いてしまえ的な改善案を以前に聞いたことがあるけど、わりと妥当というか、おそらく無駄ではないよなー、って時折思う。言葉で喚起される感覚や視点を舐めちゃ駄目だ、って話である。何にせよ、職場には向かうと決めた。連絡と準備があるからだ。報告会議の内容を連絡して、報告書を書く準備もして、郵送するものがあるのでそれも準備して送る。明日の自分が時間を確保できるためにも準備しておかねばだ。
▼▼読書は『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん2』である。読み中である。想像以上に楽しめている。死ぬほど好きなものになりうるかどうかはまだ微妙に不明で、けれど、死ぬほど好きになるであろう条件は地道に静かに満たし続けられている気がする。

以下は備忘録というか素敵なので出逢えて嬉しくて忘れたくないなの羅列である。むしろ独りよがりニュースサイトと言っても過言ではないどころか超的確かなー。超?

→ 『なぜなら、長い否定文は存在しない法則、があるからです。歌詞というのは瞬間の印象がおそらく大事なので、誤解させるようなフレーズを印象付けるようなことは避けるはずです。したがって、「歩いていてもヒント出してる」を、否定文と解釈するのは難しいのであり、実際に私は歩いているときにヒントを出している、のではないかという判断です。ということは、逆に、歌詞をよく読むとなんとなく聞いていたときの印象とは全然違うあばずれの曲だった、という歌詞を、否定文を使って作ることも可能だ、ということになるかもしれません』
→ 『わたしにはレニーという友人がいるが、彼は判断の必要な質問にはかならず「何とくらべて?」と切り返す癖がある』
→ 『私には信仰なんてないんですよ。 信仰を否定もしないけど、肯定もしないし、関心もなくなってきているのですよ。 でも、多分通じない人には通じないと思う。 世界というのは、主観と客観があり、人はそれぞれ相対化されるべき主観を選択していると思っている日本人多すぎ。 世界というのはそのままにして主観であり、ということがその人にとって唯一の現れをしていいてそこから出られない。 そういうどうしようもない、タガ、みたいのがあるとき、その超越構造の原理性だけをどう取り上げるかというのが問題なんだよ。 これはあれ、恋の問題なんだよ』
→ 『つい最近、自分も大好き『15×24』が作品の出来の割には埋もれてるという話が少し話題になっていました。冗談言っちゃいけませんよ。具体的な売れ行きの話は知りませんが、ちょっとしたまとめ書くだけで、こんなクソ過疎ブログにもブクマが幾つか付くぐらいには大人気じゃないですか。『ネルリ』の埋もれっぷりは、その比ではありません。断言しますが『ネルリ』こそが、2009年のラノベ界最大の「埋もれた名作」なのです』
→ 『そもそもここまで後先を考えてない(ように見える)大法螺を吹きながら、きちんと要所要所では物語としてまとまっている(そしてそのまとめるとその下にもう一つの風呂敷があることに気がついたりする)あたり、これは絶対計算してないだろ!と思ったりもするが、続きは次巻を書く自分に任せるぜー!と言うかのような果断な姿勢にはとにかく惚れ惚れするしかない』