世界は称賛に値する

日記を書きます

眠れる森の美女的木曜日

昨日の感想と最近の思索

→ 切れ味だけを求めることはない。ないよなあって思った。ないだろうって思った。改めて思いたがっていた。偏りはおおむね駄目で、切れ味だけ求めてしまうことも、結局はそれだろう。では求めるもの――求めると幸せになれるものはなんだろう、は、考えるに値する問題ではある、とも思う。

→ 何を求めているのだろう、的な問題は、微塵も解消の気配がない。ないように思えている。誰かに対して、時折、結局人生はそういうものだからねー、なんて言ったりしてしまうことがあって、けれど、そういうものであるってこと自体、経験則的な推測を語ってみせているだけで――騙ってみせているだけで、実際は全然納得がいっていないので、誰かにしたり顔で話してる場合かよ、って指摘が、脳裡の反対側では逐一発生していたりもする。するのだった。

→ 相棒と言えるような関係には以前から憧れがあるのは間違いなくて、だから、ドラッカーさん(ピーター・ドラッカー)と上田さん(上田淳生)の関係性に「信頼」のようなものを見出したがってしまって、でもって、楽しがってしまうのかもなあ、とふと考えてみた。

→ 概念も言葉も選別しよう。改めて思う――判断を改める。実用のための言葉の判断基準が実用性であることは確かに道理で、悪くないって思えるけれど、言葉は「実用のための言葉」だけではない。美しさはどこにでもあるじゃないか、って思う。見出せるよなあと思う。なら言葉に見出せてもよいと思うし、見出せるなら、実用性じゃないものも判断基準にできるだろう。できてもよいんじゃないか、って思う。

昨日の備忘録

→ 「バイト始めようと思ってる人とか始めてまもない人向けのなんか」って文章のまとめかたが素敵だった。改めてまとめなおしてみよう、とも考える。

→ 『ガラクタ捨てれば自分が見える 風水整理術入門』が楽しそうだ。憶えておく。特段風水に関する知識はないけれど問題はないだろうと推定している。

→ 「インターネットは地球の神経系だと以前から言われてましたけど、ついに地球も「脳にあたるもの」を手に入れたのかも知れません」的な論旨に唸る。若干ツイッターに興味が湧いた。

→ 「その問いを発した瞬間に、読者は「テクスト」の意味ではなく「書き手の欲望」のありかを尋ねる。その時読者はラカンとレヴィナスの弟子となり、二人が見ている知の欲望を覗き込むことになる」って文章が新鮮で楽しくなった。内田さん(内田樹)を始めとして、複雑怪奇なこういう関係性を描き出すのが文系なのだよなあ、と最近は時折考える。

→ 「はじめてのドラッカー」という対談が完結を迎えた。非常におもしろかったので改めて記憶しておこう、と強調的に判断しておく。