世界は称賛に値する

日記を書きます

科目:勉強

「勉強法について質問したく思います」
「唐突って言葉知ってるか?」
「勉強法? 勉強術? どちらが好みです?」
「好みとかない。あと法と術じゃ違うだろ」
「?」
「構造と実践っていうかな」
「魔法と魔術の違いだとか思ってますよね?」
「喧しいけど思ったよ。オーフェン的にな」
「むしろ『言語表現法講義』ですか?」
「まあそっちも思ったよ。加藤典洋さんは尊敬してるしな」
「頭と手、での説明でしたっけ」
「頭寄りか手寄りか、か。思考と実践、理論と技術でもいいけど」
「学、論、法、術、ハウツー、の順番だったかと記憶してます」
「言語学、言語論、言語法、言語術、で説明してたな」
「ハウツーは?」
「ハウツーは術の簡略版かな。簡素化っていうか。やっつけっていうか」
「『学』が最も頭寄りで、次で『論』?」
「『法』が五分五分で、『術』が最も手寄り、って説明だったな」
「理解はそれで問題ないっぽいです?」
「しっくりきてないところもあるかな」
「?」
「学は、なんかさ、世界が違うと思うね」
「世界?」
「ステージが違うっていうかな」
「ステージ……。私ならレイヤーって言うかもですが」
「区別よくわからないな」
「怒られますよ?」
「知らん」
「いいですが」
「いずれにせよ、同じ線の上で比較できない感触がある」
「なるほど」
「逆に、論と術を対比するのはかなり好きだな」
「わかりやすい対立関係だって感じます?」
「感じる。頭で攻めるか手で攻めるかの違い、って理解してる」
「理解と制御の違いですかね」
「なるほど」
「学は?」
「学はさ、そういう「攻めた結果」をまとめた、総称的なものじゃないか?」
「私は空間って感じますけど」
「ほう」
「あるいは体系ですかね」
「『論』が沢山集まって体系立てられると『学』が誕生する感じかな」
「法は?」
「法も微妙に違和感ある」
「頭と手と半分ずつではない? これもステージが違う?」
「言語法は言語論と言語術の「中間」だ、って考えてたよな?」
「微妙です」
「?」
「狭間ではあるので「中間」はいいですけど、真ん中かどうかは微妙です」
「真ん中とは言ってないだろ」
「思ってはいるかなと」
「確かにな。自分理論と混ざったよ」
「いいです。似てますし、ほぼ同じではないかと思うです」
「おう。で、法ってさ、感触で理解するとさ、法則とか法律とイメージなんだよな。つまり「決まり」って感じ。だから、言語が持つ「決まり」が「言語法だ」って感じる」
「文法?」
「あ。文法じゃない。なんだろ。違うな」
「考える時間をあげます」
「偉そう……。ま、なんていうかな。文法とは違うんだよ。人間が言語とかかわる時の決まり、で伝わるか? 言い方を換えるなら、言語と人間の関係が持つ規則、とかかなー」
「なるほど」
「伝わってる?」
「不明です」
「まあいいや。言語の例で続けてていいか?」
「よしなに」
「ていうかいいかげんまとめたいな。長い」
「知りません」
「いいよ。うーん。あれだな。言語があってさ、言語は性質を持ってるだろ?」
「ええ。こうすればこうなる。こうだからこうする、と」
「で、頭で考えて、それを解きほぐそうとすると『言語論』が出来る。で、言語論が解きほぐして何を顕わにしたかっていうと、言語が持つ性質の一部で、つまり法則だろ?」
「なるほど」
「で、『術』でも一緒。扱い方をいろいろ調べて、なるほど、って思って、性質から手で扱う時に気をつけるべき法則が顕わになったりしてさ、法則が見えてくる、というか」
「頭も手も、法則を顕わにする、と」
「その顕わになった法則をまとめたもの、を、言語法、って呼ぶんじゃないか?」
「まとめ、と。総称でいいです?」
「いいと思う」
「となると、学とは違いますか?」
「あ。うーん。なるほど」
「違いますよね?」
「違うな」
「言語学と言語法の違いはありますよね?」
「ある」
「微妙な差です?」
「いや、難しく考えなくてもいいか」
「?」
「やっぱりどっちも総称だろ」
「違いはどちらに?」
「学は、論と術の総称だよ」
「なるほど。法は?」
「法は、論と術が顕わにするものの総称」
「わかりづらくないです?」
「どうかなー。一応整理つけたつもりだけど」
「わかりやすい語りを考えておいてください」
「はあ、まあいいけど」
「勉強法の話は消えました」
「明らかにな。ま、いずれだな」

言語表現法講義 (岩波テキストブックス)

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