世界は称賛に値する

日記を書きます

枯れ葉舞う冬と同時に存在するものを同一視していいのかどうか

▼葉が橙と茶に枯れている。朽ちて無様な姿を晒しているように感じた。孤独で憐れな静寂の冬が匂う。孤独や憐れや静寂は似ている。けれど、似ていると感じるのは経験的なものだろう。同じ瞬間に一緒にいることが多かった、だけ。枯れ葉ですら同じだ。決定的瞬間に一緒にいた、というだけ。だけで、似たものとして刻まれてしまった。▼いくら坊主が憎くても袈裟は憎んじゃ駄目だ、とか考えている現状なので、迷う。なら、孤独と憐れと静寂を――枯れ葉や冬を、似ている、と思っていいんだろうか。許されるとか正しいとかはわからないにしても、対抗してみせるくらいアリなんじゃないだろうか。▼鋭利な認識を喝破してくるような冷徹な晴れ。起床時刻は午前10時。勤務は休みである。▼読書は『続「超」整理術・時間編』を読むかなあ。衝撃的なほどためになっている。まあ時機もよかったんだろう。だいだいどこが適切て、だいたいどこが駄目で、というのが巧い時機に結晶化してくれて、おおおお、ってなっているんだと思う。▼管理制度が崩壊する兆しだ。過怠に負けているなあ。重視だけ庇護して調子に乗っているようだ。修繕しよう。