世界は称賛に値する

日記を書きます

標準値の設定と最適値の盲信

▼違和感を覚えてしまうのは、習慣から無意識に『標準値』を定めてしまうこと、と、意識せず定めた『標準値』がおのれに対する『最適値』であると盲信してしまうこと、に対してだったりする。例えば『週休二日』を見ながら思考する。常時『週休二日』が基本となる生活をずっとおこなっていれば、いずれ変化が起きたりして『週休二日』が崩れてしまった時に、きっと、休みが少なくてつらいよう、とか思ってしまうだろう。思ってしまう可能性はかなり高いように思える。▼けれどそう思ってしまうことが納得できないのである。まるで『週に二日休むこと』が『最適』だと判断してしまっているように見えるからだ。無根拠に『基本』だと判断しているように思えるからだ。現存する人類の中には間違いなく『週休二日』を基本にしていない人がいて、けれど、別にそれが理由で致命的な状況に陥っているわけではない。だから『週休二日』は人類の限界値ではない。無論、最適値でもないだろう。なのに、じゃないと駄目だ、とか思ってしまう。単に『慣らされていただけ』なのに『最適な状況であった』かのように錯覚してしまう、▼人間の持つ『状況に慣れることで自動的に標準値を定めてしまう機能』と『標準値を最適値だと判断してしまう機能』については、考慮しておかねば、と考えているのだった。無自覚なまま取り扱うには危険すぎる機能だろうと思える。限界値を模索したいならばなおさらだ。