世界は称賛に値する

日記を書きます

最期に立っている場所

 死ぬほど興味を感じているのは『最期の瞬間までに私はどこまで行けるんだろうか』ということで、だからこそ『では自分がどこまで行けるのか自分の人生を懸けて試してみよう』なんて考えることができているのだと思う、し、だからこそ『それを邪魔するものはたとえ自分でも許さないぜ』なんて考えることができているのだと思う。俺の邪魔をすんじゃねえよ俺、とか考えることはたまにある。新規開店後、二日目の営業日だった。拍子抜けさせられる展開だった、と言える。思っていたほど混雑が続かなかったからだ。昨日は終盤まで緊張状態が持続していたのだが、今日は序盤から弛緩状態が垣間見られるようになっていたのである。だいぶ余裕があった、わけだ。これじゃ駄目だな、なんて思ってしまった。忙しいのはやはり良いことなんだよなあ、と改めて考える。これからのことをきちんと考えるならば、最初の盛り上がりが激しいに越したことはないからだ。たとえ忙しすぎて肉体を酷使する必要があったとしても、だ。肉体を酷使することに一瞬のつらさを感じてしまったとしても、だ。瞬間の快楽を追及して全体が不快になるよりは瞬間の不快を辛抱して全体が快楽になるほうが、良い、と考えられるようおのれを育てることはできたかな、と最近は思う。なるたけ広い視野で未来を見るよう心掛けさせてきたのだ。そちらの道を選んだほうが幸福になりやすいに違いない、と推測していたからだ。